淡雪

ひとしきり句座のざわめき春の雪

今日は定例の句会。

奈良盆地より幾分気温が低い場所なので、盆地を出たときはまさか雪が降るとは思いもかけなかったが、春時雨が雪模様となったようである。

誰かが窓を見て大きな声をあげると、外は春特有の大きな泡雪であった。

枝垂れ梅

紅梅の滝なる枝のふふみかな

庭の枝垂れ桜が昨日から咲き始めた。

今日は雨なので何度か窓のうちから眺めては、開花した数を数えたり、家人に様子を伝えたり。10年ほど前に曽我梅林で購入した苗が、今では太い幹になるまで生長して剪定だけでも大変である。花梅だけど小梅をつける実梅でもあり、花のつぎは実もまた楽しみである。

今日の開花数は10個だった。

星を散りばめ

弁当をどこに広げん犬ふぐり

梅見に来ていたグループがシートを広げる場所を探している。

梅園の足元はまるで星を散りばめたように犬ふぐりの小さな花が咲いていて、腰をおろすどころか足を踏み入れる所さえ見つけるのが難しい。
カメラを手にしていても足元が気になって、なかなか思うとおりのアングルが得られないのももどかしい。

もうずいぶん前から気づいていたが犬ふぐりはとうに咲いていて、これからしばらくの間ピークが続く。

二上が朧に

霾れり大気揺るがぬ日並みにて

昨日から黄砂が降っているようだ。

車のボンネット、ルーフなどに実に細かい粒が乗っている。とくに今日は全くの無風だから飛んで来るという感覚は全くなく、ただ天から静かに降ってくるだけである。
「霾」と書いて「つちふる」と読ませる。雨に獣でなんで黄砂かと思うのだが、そういう決まりだから仕方がない。

今日などはまさに春の陽気のあったかい日で、辛うじて二上の姿がおぼろに見えて霞かとも見えるのだが、黄砂だと聞くとPMなにがしの不浄にまみれているようでもあり、ようやくの春の気分も萎えてしまう。

地域共生

発電の余熱が恵む若布かな

東電の某発電所ではこの時期、生若布を地域の関係先に配り歩く習わしがあった。ただ、3・11以来同社は大変厳しい環境に置かれているので、今もこの習わしが継続されているかどうかは分からない。

発電所と若布の関係だが、発電所の温排水を海に放流するとその排水口周りに多くの生き物が生息する環境ができる。たとえば若布のような海藻類ができると、小魚が棲みつき、それを狙った大型の魚も寄ってくるという具合だ。

発電所の温排水はもちろん厳しく管理されているので環境に悪影響がないどころか、一年中一定の温度で放水されるので生物たちの生育も順調で若布などもたいそう立派に育ってしまう。これを清掃する目的もあって年に一度大がかりな若布刈りとなるのだ。口に入れても問題ないかどうか、これも環境がちゃんと守られているかどうかのリトマス試験紙でもあるわけだ。

また、このように周年温かい排水が流されていると、本来秋深くには深場に落ちてゆくはずの魚たちも居着くことになるので、それを狙った遊漁船も出る。君津あたりでシマダイの強い引き味を楽しませてもらった記憶が懐かしい。

俳句を始めるようになって若布は春の季語であることを知ったが、この時期になると若布を満載したトラックから若い従業員何人かが降りてきて生若布をドサリと置いてゆく光景を思いだす。

ワイパー

春宵の雨の予感の香りかな
ワイパーで拭へぬ曇り春の雨

もうすぐ雨がくるというサインだろうか。

土の香りがいつもより強い。
今日は南から暖かい風が吹いて雨混じりだという予報だが、宵になっても降ってくる気配はない。ただ、香りだけは何時雨がきてもおかしくはない感じなのだが。

外出から戻ってきたら家の近くまで来てようやく本格的な雨が降り出してきた。今度は、フロントガラスの油曇りがワイパーで掃いても掃いても消えるどころか広がる気さえしてくるのだった。

頭上の春

初雲雀打ち振るはする様見えて

4,5日前の寒い日に雲雀を見た。

この時期はあまり高くまでは上がらないのかどうか、肉眼ではっきり羽根を振るいながら風に向かっているのが見えた。一ト月くらい先ではないかと思うくらい暖かった今日もよく鳴いていたが、やはり肉眼で捉えることができた。
縄張り宣言の初期段階かと思うが、これからは家を出れば毎日頭上でさえずるのを耳にできるのではないかと思うと、やはり春はもう来ていると思うのだった。