さきがけの色とも見えてクロッカス
縄囲いしてあった。
そばに行くまで全く気づかなかったが、芝生公園の一画に植えてあったと見えるクロッカスの一群が今まさに黄色の蕾を開こうとしている。背は低く10センチあるかどうかなので、折からの風に根元から震えるように揺れている。
公園を見渡しても他にはまだ色といえる色は見えず、さながら春の色の先駆けのようである。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
原則をさぼりたるにや春の風邪
手荒い・うがい励行は風邪予防の初歩。
ほかにも十分な睡眠をとって疲労をためない、汗をかいたら冷やさない、人混みの多いところではマスクなどして注意する。そういうことをきちんと守っていたらまずは風邪などひかないのだろう。
ところが寒さがちょっとゆるんだ途端の油断だろうか、くしゃみしたり鼻声になったりしておかしいなと思ったら風邪である。
近年は花粉アレルギーも増えているので、もしかしたらとうとう自分も仲間入りかと思うこともあるが、風邪は風邪。早々に寝ることにした方がよさそうだ。
恋猫の深傷舐めてこともなげ
恋猫の傷に見合ひしもの得しや
恋猫の深手と見ゆる傷なめる
恋猫の傷の意外に深手なる
恋猫の深手ものかは出撃す
季題は「恋の猫」。
「恋猫」は傍題であるが、「うかれ猫」「春の猫」「孕猫」「猫の恋」「猫の妻」など他にも多い。
今でこそ野良猫や放し飼いの猫は嫌われるが、かつてはどこの町にもいて春や秋ともなると悩ましい鳴き声や争いの声に眠りを妨げられたものである。
なかには深手ものかは傷を丹念に舐めてはまた伴侶を求めて彷徨するものもいて、なんとなくライオンの雄とおなじく哀愁を帯びた野生を感じたものである。
昔普段おとなしいトラ猫を飼っていたことがある。彼がある日突然姿をくらまし、家族をずいぶん心配させたが3,4日して憔悴しきった姿でもどってきたことがあった。その後去勢手術を施したのだが、さて彼の恋は成就したのかどうかそれは分からないが、一度きりの青春であったことは間違いない。
菠薐草さくりと顎の若さかな
菠薐草のお浸しは歯ごたえが命。これをしっかり噛めないと危険信号であろう。
何を隠そう、これまで歯には絶対の自信があったのだが最近揺らいできているのだ。3年ほど前に小梅の梅干しを奥歯で割ったときに一部を欠いてしまい、それ以来どうも具合が悪くて気がついたら上顎がすきっ歯になったような気がする。いつもの歯ブラシがまるで歯間ブラシのように歯間を簡単に抜けるようになっている。どうやら歯茎が後退しているようでもあり、歯医者に行かなくちゃと思いながらどうにも重い腰があがらない。
小梅の種の白いのをつっつくのが好きだったのに、歯が負けるのが恐くてもう3年もご無沙汰しているのは情けない。
地下鉄の出口混み合ひ春時雨
地上部に出たるサブウェイ春時雨
春時雨まよふことなくおんな坂
おんな坂ひしめきあうて春時雨
春時雨傘かしげして男坂
はるしぐれ男はたまた女坂
もうずいぶん長く地下鉄に乗ってない。
地下鉄にまつわる思い出は多いが、初めて都会に出てきて新鮮な驚きだったのが、たしかあれは丸ノ内線の四谷見附駅だったのではないかと思うのだが、地下から地上に顔を出し再び地下にもぐる光景だ。地下鉄とは地下の暗いところばかりをずっと走るものだ思っていたから、不意に明るいところへ出てきて駅が現れたものだからすごくびっくりさせられた。大都会というなれない土地で、地下鉄というまたなれない乗り物への不安あるいは当時から閉所恐怖症的なところがあったせいなのかもしれない。
兎に角その時は春コートを着ていて、窓ガラスに雨粒があたって曇っていたような記憶が残っているのだが。
追)男坂・女坂は湯島天神の石段をイメージしたもの。
年々に玉細りゆき風信子
ずいぶん前に地に下ろしたヒヤシンス。
夏に球根を拾い上げては乾燥させ、また冬になったら地に下ろして咲かせてきた。引っ越しの際も球根のままもってきたのだが、管理が悪いのか球根が細ってきたり、もう採れなくなったりしてきた。
今年に至っては地に下ろすのさえ忘れるしまつで、今日のNHK俳句の兼題「風信子」で気がついたしだい。遅ればせながら明日は必ず下ろさなくては。
焼山を視野にとらへる通勤路
奈良市内・菅原天満宮に行ってみた。
もちろん梅を期待しての話だが、残念なことに境内の梅という梅はほころび始めたものばかり。盛りにはまだ10日くらい早い模様だ。
この天満宮のある辺りは菅原道真の生誕地ともされ、地名も菅原町である。菅原氏は垂仁天皇の皇后・日葉酢媛命(ひばすひめみこ)葬儀のおり殉死の風習に代わって埴輪を進言したことから土師臣(はじのおみ)の姓を与えられた野見宿禰の後裔で、奈良時代後期(781年)当地の名「菅原」をもって改姓を願い出て以来である。
この改姓3代目が道真であるということらしい。
野見宿禰はまた、當麻蹴速と戦った角力の祖としても有名である。
奈良市内に向かう途中、末黒の山となった若草山がつねに視界に入ってくるのだった。