五感の春

花の寺木々の芽ぐみの辺り満つ
花の寺名を負ふ木々の芽ぐみけり

奈良は一斉に木々が芽ぐみ始めた。

今日の雨は言ってみれば「木の芽雨」。芽ぐみをさらに促す雨である。
梅も後期に入って満開状態。梅は咲き始めをもって良しとされるが、満開時のむせるような香りもまた梅の楽しみ。
目から鼻から耳から,五感を使って春を楽しもうではないか。

机上

春塵の小口になじむ初版かな
春塵や書架の小口のことごとく

日中窓を開けるようになった。

机の上に積んだままの文庫本やら新書本など、久しぶりに開こうものなら何やら埃っぽい。アマゾンで買った谷崎の「吉野葛」など中古本だったせいか小口の色も煤茶け、活字の小さい初版ものだったりする。こうなると弱った老眼には手に負えなくてまた元に戻したらそのままさらに埃をかぶることになる。

膚で感じる

靴裏の凹凸たのし青き踏む

もう下萌えのシーズンは過ぎて青草の春である。

舗装された道路はどうしても固くて弱った足腰には響くものだが、土の上をあるくと足裏にも優しく感じる。
これは山でも感じるもので、木の根などが顕わになった山道などを歩くのは適当な刺激があって体も喜んでいる気がする。
今は河川敷を好んで歩いたり、堤防でも舗装部分ではなく土の部分を選んで歩くようにしている。この時期になると草の丈も伸びて足裏にはさらに優しくなり、草の株を踏んではその凹凸感も楽しみながら距離を延ばしている。

国つ神のシンボル

両の杖突いて参道冴返る

二の鳥居をくぐった途端冷気が体を包む。

やはり鬱蒼とした神域の森の中に入ると自ずから霊気にみちた厳かな空気に包まれる。
鳥居からは緩い上り坂になっていて、近所の氏子らしき参拝客が絶え間なく拝殿にむかっていく。中にはもう足腰も覚束なくて2本の杖の助けがないと参拝もできないという高齢の信者もいて、ほんとにゆっくりゆっくり休み休みのぼっておられる。
こういうお姿を拝見すると、三輪さんが庶民の間に広く慕われていて今でも多くの人に信心されているのがよく分かるのである。お伊勢さん、あるいは同じ県内の春日さん、橿原神宮ではこうはいかないだろう。

やはり自然神の代表選手なのである。

はしり

とびとびに土筆ン坊の頭かな
土筆生ゆ護岸工事を免れて

土筆が見られるようになった。

大和川の土手に毎年土筆が見られる箇所があって、散歩の時気にかけていたのだが、数日前何本かの土筆が顔を出していた。その後さらに増えたかなと今日また行ってみると、案に反して数はふえてないようだ。
土筆はまだ走りということだろうか。

くぐる

道覆ふ匂ひの梅をくぐりけり

畑に植えた梅が手入れもされず伸び放題である。

それが道路の上にかぶさるように太い枝をさしかけていて、その下を通ると強い香りがした。

変わり目

腹据えて決めねばならず二月尽

明日からは年度末の月。

仕事を持つ人にとっては決算が、持たぬ人も新年度を期してあらたな変化に臨もうとしているかもしれない。また、冬が終わって春になったことは感覚的に体が知覚していようし、自ずと心も次のステージに向かっているであろう。

とりわけ人生の大きな岐路にたっている人にとっては、この3月は生涯忘れることのできないものになるに違いない。