船ならぬ魚山に登る

逆さ富士魚氷に上る三合目

湖に氷が張ってしまうと逆さ富士は見えないものらしい。

ただ、雨が降って湖面が滑らかになったり、氷が溶けたらチャンスである。
「魚氷(ひ)に上る(のぼる)」は七十二候の一つで、凍っていた湖の氷が暖かくなって割れ、そこから魚が跳ね上がる様子のことで2月の中旬の頃をいう。だから、氷が溶けかかる時分に魚が勢いよく湖面をジャンプして、そのあたりはちょうど逆さ富士の三合目付近なんだと言うのである。
少々理屈がかった句で鼻持ちならない感じがしないでもないが、そこは遊び気分で。

この時期の似たような季題に「薄氷(うすらい)」がある。単なる薄い氷を言うのではなく、春になって氷も溶けかかりその厚さが薄くなってきて、しみじみ春を感じる様子を言うのである。

向こう三軒両隣

立春や豆の末路のあからさま
立春やよべの名残の隣家にも

キヨノリ君のコメントに書いたことですが、今日は外の方が暖かい感じ。

今夜から雨もしくは雪という予報ですので、ほんの一日の春を楽しんでいます。
朝刊を取りに出ると、昨夜撒いた豆たちが、通勤の人たちにでしょうか踏みつぶされて歩道に張り付いていました。

最近の二重サッシの窓ではさっぱり外の声が届かないせいか、昔のように「あ、お隣もやってるな」という風情・余韻が伝わってこないのがちょっとさびしい気がします。セキュリティの厳しいマンションの節分、これはこれで句になると思いますが、どんな風なんでしょうか。

鶯の避暑?

暮れかぬるときを惜しみて揚雲雀

今夕方の6時11分、2階の部屋にいて雲雀の声がよく聞こえる。

よほどこの土地がお気に入りなんだろう。朝となく昼となく、また夕となく頭上で雲雀が鳴いている。
見上げては探すのだが、春先の頃に比べ高さが一段と高くなったのかどうか老眼の目には容易に見つからない。今年生まれた子はもう巣立ちしたであろうから、あの高さで鳴く理由というのは何なんだと思う。

そういえば、あれほどよく聞こえていた鶯の声が聞かれなくなった。早くも信貴山の涼しいところにでも登っていったのかもしれない。高度差からいうと、ここらあたりよりは3度くらいは気温が低いはずなので。

集落消滅

げんげ田を起こさぬままに村おこし

お隣の平群町では南北に貫く道に沿って、今ちょうど紫雲英が花盛り。

紫雲英というのは、花の頃に田にすき込んで肥やしにするものだというイメージがあるがそうではないらしい。
おそらく休耕田を利用していると思われるが、立て看板によると有志が申し合わせて一般のひとにも紫雲英田を楽しんでもらおうという趣旨らしい。
休日には家族連れが三々五々時間をつぶす光景も見られて、一応当初の目的は果たしているように思える。なかにはすっぽりそのまま雑草におおわれてしまいそうになってる区画もあるが、担い手の減少で荒廃していく町の光景を少しでも遅らせようという心意気がそういう活動を支えているのであろう。
先日のニュースでは平群町だけでなく我が町も、さらには県内大半の自治体が人口減少に悩んでいるという。限界集落どころか消滅集落さえ現実の問題として浮かんでくる昨今、比較的耕作地も平らで大阪にも近い町までも耕作担い手が減少しているというのは、現実の問題として各行政に重い課題をつきつけていると言える。

青山高原

高原に居並ぶ風車遠霞

今日から夏。

一昨日のことだからもう春も終盤で、その日は奈良盆地も伊勢平野も春霞にけぶって視界はいつもの半分もないくらいだった。伊勢本街道の新緑の峠から長い道のりを下りてきて、かすかながらも風車群が遠くの青山高原の上に見えたとき、ようやく伊勢平野に出たんだと思った。

宇陀の榛原から約2時間、山間ドライブは悪くはなかった。再奥の市場で春の山菜をしこたま手に入れることもできたし。

落剥

風来たる枝より揺るる桐の花
桐の花あたりを払ふ高さかな
抜きん出て雑木見下ろす桐の花
櫛の歯の欠けるごと落つ桐の花
竹とんぼ舞ふやうに落つ桐の花
落ちやうの落下傘めき桐の花
ラッパ口下に舞落つ桐の花
その形の落ちて知るなり桐の花
桐の花落つるやすでに萎えゐたり

昨日二上の麓を走らせていると、遠目にも桐の花が何本かよく見えた。

用事を済ませた後で、再びその場所に行ってみると二上パークという道の駅があって、その奥の「二上山ふるさと公園」に大きな芝生の丘が広がっており、周囲の雑木林から抜きん出るようにして桐の花が咲いているのだった。
落花した桐
そばまで行って見上げていると、ときどき音もなくハラリと落ちてくるものがある。長さ5、6センチのラッパ型をした桐の花で、その根元のほうを下にしてくるくる回転するように落ちてくるのだった。あらためて木の下を見てみると、すでにかなりの数の花が散り敷いていて、そのどれもが形を維持するのも難しいようにげんなりと萎びている。落花直後のものであってもすでにラッパは閉じられるようになって張りがない。
木の上にかたまって咲いているのを見るだけでは、一つ一つの花がこんなに大きいとは知らなかったし、なにより大変豪華に見えていたのが、いざ落ちてみると意外なほど情けない姿をしているのを知ってその落差の大きさに驚くくらいだ。
桐は昔から葉が落ちるさまに凋落を重ねて見てこられたが、花の落ちるのも負けず落剥の思いを深くするのだった。

藤棚

花蜂の無害もあると教へらる

春日大社万葉植物園の藤は今が盛り。

ただ最初は、その蜜を求め尻が丸くて大きな蜂がぶんぶん飛んでいて思わず腰が引けてしまう。係員から「花蜂と言って刺さないから大丈夫ですよ」と教えられ、ひとここちつく。一般には「クマバチ」と言えば分かるだろうか、それくらいの大きさ。目の前の花房のまわりを飛び回るので、お尻がまん丸でずんぐりした様子がよくわかる。
とりわけ香りの強い「麝香藤」という種がたくさんの蜂を呼び寄せていたのが印象的である。