耳をそばだてる

初雷の容易に去らぬ寝端かな

昨夜激しい雷雨があった。

春とは思えない凄まじい雷で、しかも長々と続く。すっかり寝端をくじかれた形だ。
歳時記によると、「初雷」とは立春のあと最初の雷をいうが、さらに「春雷」が別項にたてられていて「一つ二つ鳴って、それきり止んだりするのも春雷らしい」と解説にある。そういう定義からすると、さしずめ昨夜のは春のものとはかけ離れた季節外れの様相を帯びていて、異常気象の一環なのではないかとさえ思えてくる。

あまり長く続くものだから、家の猫どもも耳をたてて全注意を注いでいるかのようだった。

早春の風

河口から二十八キロ下萌ゆる

大和川河口からの距離。

家から坂を10分くらい下りて行くと大和川に突き当たる。その辺りが28キロだという指標が立っている。前後2キロ近くが広い河川敷になっていて、増水時にはもちろん冠水してしまうのだが、雑草たちはしぶとい。たしかな下萌が見られる。

河川敷には信貴山から吹き下ろす風がまだまだ冷たいが、早春の風であるのは間違いない。

福のお裾分け

砂舞へば神の喜ぶ春祭
春ごとや砂浴びせかつ浴びせられ
春事の砂かけあうて童心に
春ごとや歳顧みぬ砂遊び
松の葉を斎庭に並べおんだ祭

今日2月11日は廣瀬神社の砂かけ祭り。

昨年も取り上げた春の予祝行事。御田植祭(おんだ祭)である。考えてみれば昨年はずいぶん多く詠めたものだ。今年は昨年に比べ低調に終わった。
おまけに神事の最後に撒かれる福苗も福餅も一つとして授からなかったが、句友の優しい人から苗のお裾分けをいただくことができたのは幸いだった。

八幡さんを守るもの

竹林の骨の軋みて春寒し

竹林は大騒ぎである。

風まだ冷たく高さおよそ10メートルに達しようかという孟宗竹が右に左に揺さぶられている。まるでこちらに倒れてくるのではないかというくらい揺れている。そしてその竹のバキバキという音はまるで骨を軋ませた悲鳴のようでもある。

竹林は身をもって重文の八幡さん社殿の後背を守っている。

視座

枝ぶりのよき梅さだめカメラ据う
ファインダーの梅のいつかな揺れやまず
梅ヶ枝のあをきに白のふふみけり

難しいものである。

「梅」に真向いた句を作ろうとしたが、どうしても第三のものの力を借りて詠んでしまう癖がついているせいか、安易なほうへ逃げてしまう。カメラ、撮影という視座を借りれば何とか形にはなったが、三番目の句のように梅そのものを詠むのはどうもうまくいかない。
このあたりの表現力がつけば句の幅が広がると分かっていて、実際には高い壁として立ちはだかってくるのだ。

雨の槻木広場跡

刈株ももろとも水漬く春田かな

今日は冷たい雨だった。

飛鳥寺西方遺跡発掘で、槻木広場跡とされる場所から建物跡が発見され、これが仮設的な構造物だというので壬申の乱の陣跡あるいは使節団の饗応施設ではないかという。
まわりはすべて田圃で刈り株も畦に鋤きこまれて折からの雨に浸かっているが、田も周りの土も雨で黒ずんで飛鳥の里は春の雨に包まれている。

だが、さすがにこの天候では見学者も少ない。受け入れ側も心なしか手持ち無沙汰のようだった。

お田植祭

おんだ祭田牛の角の黒光り

各地の神社で行われる「おんだ祭」。

いわゆる春先に五穀豊穣を祈る祭典・お田植祭で、大神神社ではオーソドックスな形式である。
拝殿を「神田」に見立て、田作男(たつくりおとこ)役が木型の牛や鍬などを使い、おもしろおかしく農耕の所作を行う。このあと早乙女に扮した巫女が、太鼓にあわせて苗を植え付ける所作で神事が終わると、「種籾」の入った袋が拝殿のなかにいる人にはそれぞれに手渡しで、境内の人には拝殿から撒かれて自宅に持ち帰ってお開きである。

軽い籾袋がどこに落ちるか予想もできず、とうとう福籾は授からなかったが、縁起のよいとされる田牛の頭を撫でられたのでよしとしよう。