皮膚感覚

農鳥の不尽に八十八夜かな

立春から八十八日目の今日。

富士山山梨県側に農鳥が出現したというニュース。
いわゆる雪形で、ふもとではこれが出現したら田植時期だとされてきたそうである。
知人の話では山間地の大宇陀ではもう田植が始まっていると言う。ゴールデンウィークに入ればまもなく立夏。八十八夜は春と夏の端境にあり、遅霜の心配もなくなる頃だとも言う。その通り、明日からは最低気温も切り上がって暖かい日も期待できそうである。
夏野菜の第一弾のトマト、ナスを昨日植えたばかり。皮膚感覚でも霜の怖れがないことを分かっていたようである。

気まぐれ

春時雨匂はせ上手聞き上手

実際にはもう夕立というべきか。

肌感覚はもう夏なのである。
ただ暦の上では春時雨としか言いようがないのであるが。
夕立は激しい、叩きつけるような雨を想像するが、春時雨は空も明るい優しい雨で、少々濡れることなど気にならないような降りっぷりであろう。立ち話をしていてもあわてることのないような、そんな雨である。
夕方家の近くまで来てぱらぱらときたのであるが、急がず慌てず今日の後片付けを終了してから家の中に入る余裕がある。いかにも春の雨だなあと思っていたら、そのうち本降りとなってきた。春の雨とは気まぐれでもあるようである。

ハプニング

日干しせる猫のトイレの天道虫

砂の上を赤い虫がうろうろしている。

天道虫である。
砂は室内の猫トイレのもの。
毎日雨でないかぎりは日干ししては夕に取り組む。紙の粒でできているので湿度は禁物なのである。
彼の虫は、日当たりのいい砂場でぬくぬくと過ごしているうち、うっかり室内に取り込まれてしまったと見える。
猫トイレの管理で梅雨時が一番厄介だが、たまにこうしたハプニングがあるのもまた愉快である。

やりすごし

親不知育ちつつある春愁ひ

昼寝から目覚めると頭痛がする。

久しぶりのことだ。
ただ、これは普通の頭痛ではなさそうである。
顎を動かせば右奥歯の上あたりから頭の天辺にかけて鈍痛が走るのだ。唾を飲み込んでも同様である。
ここのところ奥歯で固いものが噛めなくなっていて、虫歯なのかそれとも歯周病の悪化か、自分では判断つかない状況が続いている。明日まで様子を見てみようというのを繰り返しているが、今日のような鈍痛は初めてである。
とりあえず痛み止めを飲んで今日のところはやり過ごそうと思う。

つきあう

自転車を曳く影ふたつ春の宵

仕事を終えて駅に向かうのだろう。

一人は原付バイクを押し、ひとりはその横で並んで話しながら家の前を通り過ぎてゆく。
下りの坂だからできることで、これが平坦な道ならば原付バイクを押すことはきつい。
原付バイクは二人乗りできないから、徒歩で通うひとに途中まで付き合っているのである。坂の上には大きな病院や老人施設などがあり比較的若い人がよく通る。
ようやく夜の厳しさがぬけてきた春ともなると、徒歩に付き合うのも苦ではなくなったのである。

遭遇

春闌けて着たきり雀どこへでも

ジェットコースターのような気温差。

いまだ冬とも春ともつかぬ格好で毎日を過ごしている。
断熱の効いた室内と室外との落差も大きく、今日のように外気温が20度を超えても室内はひんやりしたままである。服装は室内用が基本だから、たとえ夏日になろうといまだ春先のような上下に身を固めているので、ごみ出しでご近所の方と顔を合わせるのも恥ずかしくなる。
今日木曜日は燃えるゴミの日だから、どの家庭からもゴミが出る日で案の定お二人と鉢合わせ。天気がいいので町長さんも早朝の庭の草むしりのシーンに遭遇。いやはや。

春行くも

抜け道へつづくたんぽぽ誘導灯

踏み固まれた径の両側に蒲公英が群れている。

道なき原に自然にできた径である。
近道として近隣の人が踏み固めたと思われる。
まるで、滑走路の誘導灯のようである。
在来タンポポは早くも姿を消したが、西洋タンポポはたくましいので夏にかけても咲き続けるのである。春惜しむ感傷はとうてい生まれてはこない。