知らない間に

霜囲解かれ自立の豆の苗

2月も中旬になると、豌豆の苗の霜囲いが解かれるようになる。

冬のあいだ、まだ数センチ足らずの苗を藁で囲って守ってきたものだ。
藁の束を広げただけの、あんな細くてはいかにも頼りなさだけど、それなりの効果はあるのだろう。今頃は20センチ〜30センチにまで育って、畝に立ててある笹竹に今にも巻き付きそうである。

寒い中でも確実に育っていることに、あらためて新鮮な驚きを感じてしまう。

巣作り

枝くはへ鴉の巣にと編むならむ

築数十年の家だから庭木も相当大きい。

ここは城山台という、ここも信貴山麓の傾斜の厳しい住宅地で、世代の高齢化も進んだのだろうか空き家も目立ち始めている。そのうち一軒で、おそらくもう庭木の手入れもそれほどされてなくて、茫々になったままの古い柿の木の天辺で烏が枝を加えたまましきりに動いているのを見つけた。しばらく観察していると、どうやらその枝を頭を振り振りしながら千切ろうとしているのである。
やがて首尾よく50センチほどの枝を切り取ることに成功した烏は、それを咥えて住宅街の軒をかすめるように低く飛んでいった。おそらく近くのどこかに巣作りを始めたのだろう。

鳥にも猫にも恋の季節がやってきた。

盆梅

盆梅の見頃のものを部屋に入れ
梅園は生活道路天神社

同じ品種で同じ環境で育てていても成長というか営みというか、微妙に違うようである。

おびただしい数の盆梅が天神さんの境内で育てられているが、その内見頃になったものを拝殿の回廊に置いて参拝客を楽しませている。おそらく、一般の家庭でも見頃になった梅は間近で見たいという気になるはずで、日当たりのいい広縁とか床の間などに移されるのではないだろうか。

名乗りはまだか

初雲雀揚げると見えて降りにけり
分譲地為歩きたまひ初雲雀(ぶんじょうちしありきたまいはつひばり)

玄関を開けて外に出た途端、雲雀の囀りが聞こえた。

顔を上げて場所を確認するまもなく、ひらりと降りてしまう。あとは、まだ裸同然の更地を逍遥するかのように歩いている。まだ気温5度の朝。高く舞い上がって名乗りを上げるほどの気分には遠いのかもしれない。

天満さんの梅

拝殿の袖に残りし春の雪

萩原神社拝殿の雪
今日の句会場は天満神社境内の会館。

開始時間の随分前に着いたのは余裕をみておくのは当然として、実際は天神さんの梅を楽しもうという狙いもあった。境内至る所に盆梅があり、梅園もあれば、すでにピークを過ぎたものから、まだ堅いつぼみのものまでバラエティに富んでいる。
しばらく観梅を堪能した後、お詣りしようと拝殿に近づくと、その両脇には数日前に積もった雪がまだ残っていて、しかも汚れも見られない。とくに何をお願いするというではなく静かに柏手を打ってから会場に向かった。

まんず咲く

まんさくの金糸こぼるる土塀かな

金縷梅が咲くのはこんな時期だったんだなあと改めて思った。

関東であまり目につく機会が少なかったので、当地で初めて見たときは何とも不思議な花が咲くもんだと感心していたら、実は名前の由来が『早春に咲くことから、「まず咲く」「まんずさく」が東北地方で訛ったもの』から来ているそうで、関東では気づかなかっただけのようだ。むしろ、当時には俳句にも興味もなく、何処に行くのも車で、まして寒い早春に街を出歩くことなどほとんどなかったのだから当然ともいえるが。
当地では、寒牡丹で有名な當麻の石光寺で見たのが初めてだったと記憶している。その時には、三椏の木も間近で見ることができた。

俳句というものに出会って以来、いろいろ知ることもありその奥深さもまた底の知れないものに見えてくるが、明日は、大阪・堺の例会に初めて参加する予定である。吟行ではなく兼題と席題が出される会なのでちと苦手だが、佳句に触れるチャンスなのである。

展望台

のっぽビルオープンを待つ雨水かな

この土曜日に阿倍野にオープンするデパートが記者公開されたそうな。

さらに、来月7日にはこのビルの展望台含めた全体が「グランドオープン」するという。今近鉄電車に乗ると各車両にはこのグランドオープン広告が吊られたり、張られたりしていてムードを盛り上げている。
折しも消費マインドが上向いてときでもあり、関係者はそれを追い風に一気にアベノを全国区にしたいところであろう。

一方、私は高いところがやや苦手なせいか、スカイツリーとかランドマークとか、この手の話には全く心が動くところがないんだけど、今回はまだよく知らない大阪や関西を高いところから眺めてみるのも一興かな、などと思ったりはしている。しているものの、やはり大変な行列に並ぶ苦行を考えるとその気も失せて結局一度も登ることはないのだろうけども。