山菜の天麩羅

売られゐし木の芽調べり漉油

伊賀の道の駅でいくつかの山菜がパックになって売られていた。

さっそくその夜の天麩羅となったが、どれもこれも柔らかくおいしい。ちょっと葉が厚くてやや苦みのあるのは何だということになって、パックに添付されていた名札から消去法でどうやら「コシアブラ」らしいと判明。さっそくグーグル先生に教えてもらったのだが、今では結構ポピュラーな山菜だそうだ。関東ではあまり店先に並んでいるのを見たことはなかったが、こうした山地ならではのものかもしれない。
ちなみに、パックされていたのは他に「タラの芽」「野蒜」「こごみ」「山独活」「セリ」であった。

また引っ越し

親の尾の揺るるに飽きぬ子猫かな

今朝起きたら子猫たちがいない。

昨日昼間留守にしていたあいだに何かあったのだろう。餌を食べたみぃちゃんが道路を渡って行くのであとをつけてみたら、なんとお向かいの家の勝手口あたりに子猫たちがいるではないか。屋根がついていてカラスなどからもブラインドになりそうないい場所を選んだものだ。連休中なのでお向かいさんとその両隣はお留守のようで、今のところ追っ払われる心配はないが、すぐにまた次の場所を探さねばならないだろうに。

何とか戻ってきてもらいたいものだが、さてさて何かいい案はないものだろうか。

親になる

親猫の授乳せんとや子を誘ふ

親猫がごろんと寝転ぶ。

そばにいる子を両手で抱き寄せておっぱいを飲ませようとする。いやがれば、そのまま甘噛みしたり後ろ足で軽くキックしたりして子猫と遊んでやる。生後1年足らずとはいえもう立派な親なんだなあ。

飽かず眺む

背を丸め威嚇もして見す子猫かな

もう、しばらくは子猫の連発だ。

とにかく仕草がかわいい。じゃれあっているのも狩の練習なんだろうが、おたがいに背を逆立てて斜行しながらにらみ合ったりして、いっぱしの行動もする。親や他の子の尻尾にじゃれついたり。一日に何度もおっぱいをもらい、昼寝していたかと思うと暫くしてまた起き出しては遊び。この繰り返し。窓越しに見ているのだが何時間見ていても飽きないのだ。

みぃちゃんの子供たち

顔見せに連れ来し野良の子猫かな

毎日餌をやってる野良猫「みぃちゃん」こと「都」が今朝子猫を四匹連れてきた。

子猫たちは今、冬の間みぃちゃんのために用意していた段ボール箱の中でおっぱいをもらって昼寝中だ。三毛、キジ虎、白+キジ虎、黒と毛色も四者四様で、ちょうど生後2ヶ月くらいだから可愛いことといったら。
どうやら交通量の多い道路をわたった先の農家の納屋で育てていたらしい。最初の納屋ではオーナーに見つかり追い払われたようで、その後の行動パターンからもう子猫は死んでしまったのだとばかり思っていたので、今朝箱の中でごそごそ動く気配でそれはもう驚いたこと。子の生命力もそうだが母猫のたくましさには驚くばかりである。それに、一体どうやって広い道路を渡って四匹も連れてきたのだろうかと感心してしまう。

問題は、子猫たちの将来で、とても全部は面倒見られないのでもらってくれる人を探さねばならないこと。何しろみぃちゃんは人に対する警戒が人(?)一倍強く、毎日餌をやってる私らでさえ抱くことはおろか触らせもしないので、避妊手術を受けさせることもできなかったのである。まずは子猫を手なずけながらみぃちゃんの警戒を少しずつ解いてゆくしかないのだろう。そのうえで避妊手術も済ませなくては。
いずれにせよ、今までの場所で子育てするより我が家の庭の方がいいと判断したのだろうから、ある程度の信頼感を抱いてくれているはずだし、頼られた以上は面倒はみずばなるまい。

いやはや、何かと慌ただしい5月になりそうである。

埋まらぬ句帖

古寺に六十路の学や春闌ける

説明を聞き逃すまいと体全体を耳にして歩いた時間はあっという間に過ぎていった。

メモを取るいとまもなく次から次へ移ってゆくので、終わってみると細かな部分がすっかり欠落している。このペースではとても吟行にならず、手にした句帖は持ってきたままで全く埋まらない。こうなると、修学旅行に来ている生徒に混じってひたすら列に並んでは説明についていくしかない。

松並木

参道の一本道や松の芯

法隆寺の南大門に通じる参道は見事な松並木である。

その両サイドを道路がはさみ、道路の脇には大型バスが何台も駐車できるスペースができていて、修学旅行や遠足のバスが到着するたびに学童、学生の列が松並木に沿った歩道を南大門に向かって先生に引率されてゆく。
松並木に沿った歩道、というのは実際にはこの参道を歩く人はまれだからである。南大門から国道25号線に向けて300メートルほどまっすぐに伸びる参道は途中で一カ所でしか切れてないので簡単には入れないのにも原因がありそうだ。この参道から、南大門、西院伽藍の中門、大講堂が一直線に並んでいて、訪問する順序からいえば南大門から大講堂へ向けての方角しか目にとまらないが、大講堂から振り返って眺めてみると、壮大な飛鳥建築の全貌のみならず、はるか南大門の奥に松並木が捕らえることができるという大変ぜいたくなシーンなのである。
西院伽藍の大講堂からの眺め