伴侶は?

肥袋やぶりかわづの出でにけり

ほころんでいる腐葉土の袋に触れた。

触れる間もなくいきなり雨蛙が袋から飛びだしてきたという方が正しいかもしれない。
どうやら袋の破れているところから入り込んで越冬を決め込んでいたようである。
堆肥のたぐいはわずかながらも発酵が続いているようで、意外に温いのではあるまいか。
これ幸いとカエル君の寝床になっていたわけだが、春となって堆肥の出番ともなるともう住処にはならないのは気の毒なことをした。
庭のどこかで鳴いているカエル君は今年も健在だ。伴侶はいるのかいないのか、それは知らないがいつまでも居てくれていいんだぜ。

折り返しバス

山門を桜かざしに浄瑠璃寺

当尾の里は鶯盛り、桜盛り。

浄瑠璃寺の山門はごく小さいが、手前に桜の枝が張り出してまるで花かんざしのようである。
このお寺は一年中花が絶えないが、やはりもっとも美しい時期は秋のようである。
圓内をぐるりと紅葉に彩られ、それがこの世と彼岸を結ぶ池に映えて、まさにこの世の浄土、浄瑠璃世界となる。
いっぽう春は樹木が葉を落としているので世界は明るく、とりどりの花が彩りを添えている。
帰りは鶯に聞き惚れながら折り返しのバスを待つのもまた楽しい。

カラフル

菜花堤アンツーカーは赤茶色

大和川堤防は菜の花盛り。

西洋からし菜が北側斜面一面を覆って、対岸あるいは橋の上からよく見える。さらにその奥には煉瓦造りの体育館、そして町庁舎を覆い尽くすような満開の桜。声にならない声がもれるほどの美しさ。そのまま絵はがきに使えそうである。
河川敷にはウオーク用のアンツーカーが一本伸びて、これが緑のカーペットに赤茶の線を引く。
この時期にしか見られないカラフルなシーンである。

満開

パトカーに従いて霞の端めざす

盆地の端四方が霞んでいる。

いい天気が続いて、花粉も黄砂も混じっているかもしれぬが春らしい空気だ。
所用で町を走らせていてある交差点からパトカーの跡を走ることになった。もちろん法定速度を強いられる。
しばらく一緒に走ることになって周りを眺める余裕もでると、あちこちで桜が咲いている。
三室山は秋の紅葉で知られるが、この時期は桜がいい。奈良は今満開を迎えている。

順光逆光

照りてよし昃りてよし紫木蓮

遠くからそれと分かる豪華な紫の花。

天に向かって、どの庭木よりも高くそびえている。
とくに見事なのがその高さゆえ、夕陽に照らされるとまるで空に浮かぶ冠のようでありそれはそれは美しい。
やがて日が没すると、暮れかねる空にくっきりとシルエットを浮かべるのも素晴らしい。
紫木蓮は夕方に味わうがいい。それも順光と逆光と両方を楽しむのがいい。

共有体験

うららかや今だから言ふ裏話

人間関係が深まったからこそ話せることがある。

「実は、あの時。。。。。」
というたぐいのうちわけ話もそのひとつ。
ただ、笑い話で済ませる場合はいいが、ぶちまけ話もほどほどにしておかないと良好な関係を壊しかねないこともあるので要注意だが。
この「あはは」と笑い捨てられることがキモで、旧知の仲とはいえ自尊心を傷つけたり、心の深い傷に塩をぬるようなものはタブーでできるだけ軽い話題が無難である。
いまだから笑える話に花が咲けば場も和み、めでたしめでたし。共有体験こそ友情の鍵なのであるから。

町文化財

花冷や木戸に臨時の入山料

年々元気がなくなってきている。

町指定の文化財となっている、ある寺院の枝垂れ桜で推定樹齢二百五十年以上だという。
高台の南側斜面にあるので眼下に盆地が見渡せるが、いかんせん樹勢が弱っているようで見るにも気の毒になる。
町指定文化財とはいえ維持費をまかなうには十分ではないようで、この時期だけ入山料という名の桜保存資金を募っている。
我が家からはちょうど鎮守の森に遮られる位置にあり、行こうと思えばいつでも行ける距離だ。
鎮守の森の桜はこの天候で進行はゆるやかなようである。見頃は週明けとなりそう。