かづく

この紅が牡丹支ふる芽なりけり
骨格のはや逞しく牡丹の芽
骨格の片鱗はやも牡丹の芽
園丁の爪先黒し牡丹の芽
ほぐれては止まるを知らず牡丹の芽
九度山にブーム去ったり牡丹の芽
登廊の途中でかへす牡丹の芽

紅というか、深紅というか。

あの牡丹の芽である。
大きくて豪華で重い花を支えるためには体躯もしっかりとしてなければならない。そのせいか、芽もいかにも逞しく、千手観音さんのように枝をたくさんつけていて、これらを伸ばしながらぐんぐん成長していく。そのはじめの逞しい姿というのは、むしろグロテスクな印象さえ受けるほどで、これがあの大輪の女王花を咲かせるわけだから、まるで民話の「鉢かつぎ姫」の主人公みたいなものである。

鉢かつぎ姫は、子供のできない夫婦の夢に出てきた長谷観音から女の子を授けられたが、その際その子には鉢を被せるようにというお告げがあったところから物語が始まる。
その長谷観音では、あとひと月もすれば、鉢を脱いだ牡丹の盛り。牡丹は見たいが、あの人波を考えると。

ところで、「鉢かつぎ姫」は本当は「鉢かづき姫」だそうである。「かづき」は「頭にかぶる」という意味の古語「かづく」(被く)の活用だとか。

剥がれ落ちる

梅一片降りて残像としもなく
梅一片散華ともなく降りにけり
見とがめるもの誰あらん梅散華
人知れず梅の散華のありにけり
つとありて梅の一片落ちにけり

桜は「はらはらと」散るという。

人はその散るさまも含めて桜を愛しいと感じている。
対して春の先触れとなる梅はどうか。梅は人の見てないところで散るのである。しかも一片ずつ時間をかけて静かに散る。梅を散るところなどを詠んだ歌や俳句が少ないのもそのためである。言わば気がつけばいつの間にか花が少なくなっていて、あるとき見たら多くが萼だけになっているのに気づき、ああもう梅は終わりだ、と思ってお終いなのである。梅の散るのを惜しむ人はまずいまい。
今年の庭の白梅は、1月下旬から咲き始めて、今日までまだ二分ばかり花を残している。こんなに長い間咲き続けているのは珍しいことである。たまに庭に目をやるとき、さらにまたたまに梅が散るのを見ることがある。同時にいくつも散るのではなく、一片ずつである。散るというよりは剥がれるという感じだ。

申告済んだ

引鴨や釣桟橋の朽ちしまま

税務署の帰りに平城京大極殿北の水上池に寄ってみた。

ここは、奈良の探鳥ファンには欠かせない池で、鴛鴦はじめ何種類もの水鳥がやってくる池。
だが、三月も半ばとなると、さすがに鳥は少なくなっていて、種類も小鴨などごくわずかであったが、それでも池の真ん中で群れを作っている様子など引くタイミングを伺ってもいるようだった。
北風が強くて、ウオッチャーもほとんどその姿を見られず、情報も得られないので早々に退散することにしたが、次来たらもう渡りの鳥たちは見られなくなるだろう。

桜の切り紙

切り貼りのどれも低きに春障子

覚えておられる方も多いだろう。

桜の形をした切り貼りがある障子。少し破れたくらいなら花びら形にカットした紙で繕ったものだ。
今では障子用の紙だって簡単に手に入るし、糊もわざわざ手作りする必要もなく、張り替えもずいぶん簡単になったことだろう。
春ともなれば去年張り替えた紙もうっすら灼けてきたりするものだが、強くなった日がその分あまりある光を通してくれる。
切り貼りの部分もそれだけくっきりと分かる。
障子の低い部分だけつぎが当たってるところをみると、破ったのは猫かあるいは小さな子供の仕業か。

浪速の春

春場所や新弟子みやうみまねから

浪速の各宿舎には新弟子が入る頃。

四股、鉄砲はまだいいが、箒の持ち方、掃き方、挨拶の仕方やら、心得、所作、作法のあれこれには戸惑うことは多いはずだ。師匠や兄弟子などから直接教わることもあろうが、細かなことまですべて手取り足取りとはいかないだろう。
そこで、見るものすべてが手本となる。最初のうちは見よう見真似のぎこちない面は否めないが、一年もすればそれらしい貌になっているはずだ。

それにしても、今場所は新横綱誕生、陥落大関の返り咲き如何、小型力士の新入幕など、久しぶりに見どころ満載でおおいに盛り上がるだろう。

実の生る花木

桃の花津軽捨てしと言ふ人と

津軽の春が懐かしいのだろう。

道路からよく見える場所に、頭よりちょっと高いところに桃の花が咲く。
初夏にははっきりと実がついているのも見える。
この人は、僕と同様に実が生る花木が好きなのだと思う。

3月10日ころから、二十四節気の「啓蟄」の次候、「桃始笑(ももはじめてさく)」になる。そろそろ咲く姿が見られる頃だ。東日本大震災とはそういう時期にあったのだと改めて思う。