而して田は捨てられき蛇苺
主が病に倒れて二年目。
昨年は助っ人が草取りから何まで田の管理をされていたが、今年はもう五月というのに春の耕しも入らず草が生い茂ってきた。一面雀の鉄砲に覆われて、このままではこの夏には雑草だらけになってしまいそうだ。
畔には蛇苺と思われる真っ赤な実が顔を出し、近くに寄るのさえうとましく思えてくる。
これまで無農薬栽培してきた田でそれなりに維持してきた田も、わずか一年で荒れ果ててしまうだろう。こうした形で至る所で田が捨てられ、そして集落が捨てられてゆくのだろう。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
而して田は捨てられき蛇苺
主が病に倒れて二年目。
昨年は助っ人が草取りから何まで田の管理をされていたが、今年はもう五月というのに春の耕しも入らず草が生い茂ってきた。一面雀の鉄砲に覆われて、このままではこの夏には雑草だらけになってしまいそうだ。
畔には蛇苺と思われる真っ赤な実が顔を出し、近くに寄るのさえうとましく思えてくる。
これまで無農薬栽培してきた田でそれなりに維持してきた田も、わずか一年で荒れ果ててしまうだろう。こうした形で至る所で田が捨てられ、そして集落が捨てられてゆくのだろう。
ともに莢剥いてふたりの豆の飯
毎日が豆の日。
家庭菜園をやると、豆ならば豆、菜の花なら菜の花、胡瓜なら胡瓜と毎日毎日同じものが食卓に並ぶ。
旬のものだから体にもいいはずだし別ににいやでもないけれど、さすがにちょっとは飽きてくるものだ。
とくに、豆の場合はその期間が長くなる。
莢豌豆、スナップエンドウに始まって、実豌豆、インゲン、ササゲと夏まで切れ目がない。
ただ、どれをとっても保存がきいて重宝な作物と言えるし、そもそも豆は原始の昔から食べられてきた息の長い食物である。栄養価も高く体にいいし、メニューも多彩に考えらる。夏の枝豆、秋の大豆、小豆、どれもありがたい食べ物であることにかわりない。
固め打ちして翔平の夏来る
何ともいい時間に中継が始まる。
試合が始まるLA現地時間夕方6時というのは、サマータイム当地との時差16時間を計算すると18プラス16で34、これから24を引けば10。つまり日本では午前10時。朝のルーチンが終わり新聞も一通り目を通せばきっかり中継スタートとなるので、ついスウィッチを入れてしまう。
東部地区でのアウェイとなれば3〜4時間は早くなるので、朝の忙しい時間に重なるので結果をニュースで知ることになるのが多い。
昨日、今日リーグ最大のライバル・アトランタブレーブス相手に2勝。大谷翔平の打撃も上向いてきたか。
柚子咲いて新芽の棘のやはらかき
揚羽が卵を生みに来ている。
傍に寄れば柑橘独特の強い香り。これに吸い寄せられるのだろう。観察してみればそこここに産みつけられた一ミリほどの黄色い卵がついている。
夏になると棘が固くなってうっかり手を伸ばそうものなら痛いしっぺ返しがあるところだが、この時期はまったく恐くない。
今後のためにも柔らかい棘は指でぽきぽき折ることにしよう。
知らぬ間に十薬匂ふ庭ぞかし
つーんと強い匂いがする。
これは紛れもない十薬の匂い。
種を蒔いたとか、苗を植えたとかまったく身に覚えのないものだ。
隣地に家が建って半日日陰となり、しかも湿り気を帯びがちになったせいだと思う。
それにしても、条件が整えばちゃんと環境に適した種類の生物が生えてくる自然の営みには感心するばかりである。
おざなりのままにしておいた主のせいでもあるのだが。
雨粒のしづる鉄棒若葉冷
時間の経過とともにぐんぐん気温が下がってきた。
連休と言えど雨の公園には人影はみあたらず、遊具はどれもみな淋しそうである。
子供たちがぶら下がる鉄棒には雨粒が垂れるだけ。そこだけが光っている。
定刻に寝ては目覚めてゴールデンウィーク
連休だからといってふだんと何も変わらない。
ごく平穏な日々の連続である。
天気によって行動パターン、ルーチンに変化はあるものの基本は同じようなものである、
どちらかというと、天気が悪ければやりたいこともできなくなることもあって時間が余りがちで、うたた寝というよりしっかりめの昼寝になる傾向がある。リズムで言えば後者は夜の眠りが浅くなりがちなので避けたいところだが、あまり自分を叱らない方がストレスもなくて大事だと思うので成り行きに任せてはいるが。
秋に蒔いた菊菜の一生をまっとうさせてやりたくて、刈らずにおいたのが薹立ちして花をつけてきた。その名の通り菊そのものの形で感動ものである。同じ種からでもぼかしが入ったもの、色が黄みがかったり橙がかったり、花片の枚数もみんな同じではなく。それぞれが違ってまたいい。仏壇に供えようと何本か剪ってきて、バケツで給水させたところ剪られたときはしんなりとしてきたのが生き生きと甦ってきた。愛しいものである。