雨に叩かれて

二百段巷を隔て沙羅の花

この時期、梅仕事も忙しいが、花だって忙しい。

紫陽花は雨を欲し、沙羅の花は今日を咲き急ぐ。
沙羅樹の足元には雨に散った花が落ちているが、花を踏んでまでそばに近づこうという気はおきない。
椿も同様だが、落ちたものとて落ちたものの命が宿っているようにも思えてくる。まして、たった一日きりの花となれば余計そういう思いは深いのかもしれない。

奈良盆地をみわたす伽藍の、一僧房の庭に立派な沙羅樹があり、塀越しにも一輪一輪がはっきり見える。
沙羅樹は沙羅双樹とは似て非なる別品種だと聞くが、寺院の一画におくと実によく似合うように思えるのだがどうだろうか。

梅3キロ収穫

九ちゃんの口笛涼しカーラヂヲ

口笛も草笛も久しく鳴らしたことがない。

今日車に乗ってると、何気なく聞いていたラヂヲから九ちゃんの「上を向いて歩こう」が流れた。
あんな高音の口笛がよく出るものだと感心したが、もしかして口笛というのは自分の音域というものにもリンクしているのではないかと思った。
どうやっても高いところの口笛が吹けないし、その高いキーの部分はやはり歌うこともできないのだ。

梅はまだ大丈夫かと油断していたら、今朝いっぱい落ちていた。
きゅうきょ今朝は梅のもぎ採りと、込みいった枝の剪定を行った。
梅は大きからず小さからず、3キロほど採れた。
もう少し熟れさせて、梅干し作りに挑戦だ。

梅雨のいのち

イタリアン切子に満たす洋紫陽花

年一回だけの出番。

大きなガラスの花瓶に庭の紫陽花を盛るのだ。
ヤマアジサイは三年目だけど、なかなか期待したようには花をつけてくれないが、どこの花舗にもあふれている洋紫陽花はたいていの土にもたくましく育つものだ。
大きな葉っぱ、大きな花の鞠を透明なガラスの器に盛ると、梅雨の命、紫陽花の命が茎もろともあざやかに眼前に迫ってくる。
花が弱れば、また庭の花を切ってくればいい。

問題は、猫どもがすぐにいたずらするので、置く場所をどこにするかだ。

スリッパ

朝なさな見る山模糊と梅雨に入る

朝起きたら遠くが白く烟っている。

毎朝起きてすぐ声をかけている二上山も全く見えない。
ああ、やっぱり梅雨入りしたんだと思った。
スリッパの裏の材料が悪いのか、歩くとペタペタくっつくような不快さを覚える。
この分なら、跣足のほうがましなくらいだ。
こんな日がしばらく続くのだと自分に言い聞かせた。

ラムネ売り

巌積む渓を転がる河鹿笛

遡上すればするほど大岩が現れる。

滝道を曲がれば曲がるほど道が細くなり、河鹿の鳴き声が近くなる。
だいたいの居場所は見当がつくものの、鳴き声が岩にこだまするので在処はつかめない。

滝見茶屋で一休みしようと店をのぞけば、冷たい清水に冷やしたラムネがうまそうだ。
だが、所望するとラムネは冷蔵庫で冷やしたものにかぎると、奥から持ってこられたのには驚いた。こちらは、滝清水で冷やしたラムネがほしいのに、押しつけられるようにして持たされたラムネを手に途方に暮れる。

水が命とか

太き枝支柱に誘ひ茄子の花

いつもそうなんだが、前半までは元気がいい。

さて、これからとなるころに勢いが失速してしまうのだ。
肥料の問題なのかどうか、原因はよく分からない。
ただ、茄子は水が大事と聞いているので、プランターには水やりは朝夕様子を見ながら与えているが、すでに7月の気温だというので、毎朝毎夕たっぷりが必要なのかも知れない。

俗説

半日を棒に振ったる昼寝覚

ちょっとのつもりが、何時間も寝ているときがある。

二日続きの好天で、今日も外ではやることが山ほどある。
午前中の涼しいうちにと動き出したが、日射しがほんとに強い。麦わら帽、水もたっぷり飲みながら、汗もだくだく。
昼からは、久しぶりに窓を全開して一休み。のはずが、いつの間にか眠っていたようだ。

ここ最近はちょっと動いただけですぐに体がいうことをきかなくなる。
睡眠も8時間以上ないと体が動かない。
年寄りは早起きだというのは俗説に過ぎない。