旬の紫

車止め半身で抜けて夏薊

薊が今鮮やかだ。

一面西洋カラシナの河原も、すっかり夏に模様替え中。
そのなかで、紫がいちだんと濃くなってきた薊に目がとまる。
人と自転車しか通らない土手なので、まわりを気にせず目をあちこちやっては散歩を楽しめる。
夏薊だから花期は長いのだが、やはり旬は初夏である。まわりが緑を濃くしてゆく中でひときわの鮮やかさを愛でたい。

天麩羅で

天ざるの今日の色立つ雪の下

ここ数日玄関脇の植え込みが明るい。

二、三年前に植え替えた雪の下の株が今ではずいぶん増えて、下草の役割をおおいに果たしているようだ。
それが、ここ一週間ほど鴨の足に似た可憐な花をいっぱいつけて目を楽しませてくれている。
ある万葉植物園で、何の木の下だったか忘れたが、やはり可憐な白い花をつけているのを発見し、以来いつか庭に植えてみたいと思っていたのであるが、ようやくさまになってきたようである。

天麩羅でいただくことにしているが、味もないのに妙にうまい。

全国ブランド

泥濘るみて茅花流しの牛舎かな
牛舎吹く茅花流しの密度かな
タグの耳ぶるっと茅花流しかな

青葉冷え、青葉寒というのだろうか。

昨日今日と寒い。
黒南風とまではいかなくて、風も湿り気を帯びている。
こういうのを茅花流しというのだろう。

大和牛。ブランドとしては二流かも知れないが、味はいけている。もう少し本気を出して、清潔で快適な環境で育ててやれば全国ブランドになりうると思うのだが。

耳鳴りみたいな

松蝉の風のまにまに陵の濠

聞こえるかどうか。

それくらい幽かな音だ。
音と言っても夏の蝉のようにミンミン鳴くわけでもなし、林全体から耳鳴りのように体全体を包み込む空気と言っていいだろうか。
当然、発生源など確かめようもなく、ただ林のどこかにいると感じるだけである。それも何匹いるかもさっぱり分からない。

母の味

湯気とともに母の忌修す豆御飯

skyblueさんに贈ります。

この時期お母さんの味でもあったのではないでしょうか。
夕べの残りを弁当に詰めてもらったこともあったかもしれません。

炊きたての豆飯を仏前に供える。湯気もまたてんこ盛りで。

連作嫌い

瓜苗の去年の隣の畝にかな

まだひとつ植え場所の決まってない苗がある。

毎年挑戦しては途中で駄目になる西瓜苗である。
何年か前にはそれこそ8キロくらいのが採れたのが忘れられず、同じ種類を植え続けているがうまくいかない。
原因がよく分からないのであるが、性懲りもなく今年もよさそうな苗を買ってきた。
ポットのまましばらく様子見しているが、順調に伸びているようである。
この雨が去ったら、いよいよ植え付けに掛かろうと思う。

瓜の仲間やトマト、茄子は連作を嫌うと言われるので、場所はローテーションする必要がある。
今度はアスパラガスの隣りにしようかと。

子供の元気な国

人見知り覚え伏し目の子供の日
広告欄童話居並ぶ子供の日

お隣の次男坊が言葉を覚えると同時に、人見知りがぬけてきたようだ。

こちらから声を掛けても両親の後ろに隠れていただけの子が、片言で話しかけてくれるようになった。
今朝の書籍広告欄は子供の絵本、童話で埋まっている。
コラムも子供にちなむ話題。
子供のいないわが家ではすっかり忘れているこの日の行事、しきたり、慣わしであるが、子供の元気な声は大好きである。もっともっと大事にされていい。