生駒借景

父さんの糸が縺れる五月鯉
ててなしの親子泳げる五月鯉

父親が風に飛ばされてしまった。

竜田川土手に何基も鯉幟がひるがえっているうちの一基だ。取材に來ていたカメラマンがそれを目聡く見つけて、回収しては飛ばされないように竿の根元に巻き付けるように戻している。渋滞の車からそれを眺めていたのだが、なんとなく心温まる光景であった。

川に鯉幟の連隊を並べるのは各地で見られるようになったが、竿一本一本に親子の幟をあげるのはあまりないような気がする。およそ10数本はあったろうか、どれも一様に新緑の生駒山地を借景にして西風に撓っているのは絵になる構図ではあった。

清淨

萼の底水輪の洗ふ白睡蓮

ひとつさきがけて咲いている。

薄濁りの水に半ば埋もれて、いまにも溺れそうながら開いているのが、真っ白な睡蓮だ。
汚れた泥水に清淨な花が咲くことで知られる蓮は有名だが、睡蓮だって負けてはいない。
浮き葉が日を返していると。そこにも咲いているような錯覚を覚えるが、咲いているのはひとつだけ。
貴重な初睡蓮にしばらく見とれた。

夏一色

百合の木の王冠めける花立つる
朴の花透けてうごめくものの影

初めて見た。

朴よりは幾分小さいが立派な葉を茂らせており、その葉陰を縫うように花をつけている。
朴の花と同じく、見上げなければならないが、ポットのような花弁に黄金色の横縞一本巡らせてなかなか気品がある花だ。
桐、朴の木も終末というかんじで春はとっくに過ぎ去った感を強くした。
まほろば句会は30度近い馬見丘陵で、若葉風にいやされる夏一色という風情。

手に負えない

若葉して萩の寺とはなりにけり

萩若葉は若葉のうちは真っ直ぐに上へ向かって伸びる。

そして、伸びきってからようやくうなだれ、乱れ萩となるのである。
かつて庭に植えてはみたものの、とんでもなく広がりだすので手に負えず結局伐採してしまった。
やはり、境内の広く、十分なスペースのあるところにこそ相応しいのだと悟った。

虫の事情

天道虫つるみて梅の葉裏かな

七つ星、そして二つ星も、今日も梅に天道虫が忙しそうだ。

ということは、アブラムシがまだいるってこと?
よくよく見ると、伸びたばかりの柔らかそうな枝にいるいる。
昨日枝を梳いたので発生する要因がないはずなんだが。
天道虫君たちがせっせと退治してくれてるようだが、間に合わないのかな。
そうかと思えば、美味しそうな餌には目もくれず、つるんでいるものもいる。
虫たちにもいろいろ都合があるのだ。

ここのところ夏の季語が続いている。

アブラムシ発生

前釦はずし薄暑の細うなじ
貝釦缺けたるままの薄暑かな

日中は避けて午後三時から農作業の真似。

やりだしたら、買ってきた苗を植え付けるまで止まらなくなった。
雑草を鍬でやっつけ、堆肥やビニール保護シートなど鳴門金時、胡瓜の床を整えてやっと植え付けだ。
急な暑さで蒸れたせいか、梅にアブラムシが大量発生しているのも発見。テントウムシ君もいっぱい取りついているが、彼らとてさばききれない量だ。枝をすっきり整えて、殺虫剤をふりかけてポリ袋へ。
そんなこんなで、汗びっしょり。
やれやれ。

陰作る

両堤に枝さし渡し花は葉に

両岸の枝がふれあうばかりに生長した。

植樹してかれこれ35年もたつ染井吉野は人間で言えば壮年である。
花万朶となって川全体を包み込んでいた桜が、はや葉桜の季節を迎えて良い陰を作り始めている。
夏の貴重な散歩道である。

当地は、佐保川、高田川まで行かなければ、このような包み込まれるような散歩道がないのが残念である。
そのかわりに、天下の吉野があるのであるが。
今年後半のまほろば吟行の候補地選定の役目を仰せつかったが、吉野も候補地のひとつである。観光地客で賑わうあの金峯山寺ではなく、水の宮滝を猛暑の頃に行こうと思う。