ヒューズ

底冷の好事魔多き南都かな

今日は文化財防火デー、法隆寺の火災より75年だそうである。

工事の火花が原因だったらしいが、文化財保全の認識が新たにされてこの日は県下各地でいろいろな行事が行われる。
この話とはまったく関係がないが、暦で言うと今が一年でも寒さのピークを迎える頃。先日も家人が十年ほど乗っているミニバイクのバッテリーがとうとううんともすんとも言わなくなって、バッテリー交換までの間アッシー君を仰せつかっている。
ホームセンターあたりに行けばあるかと思ったが、これが意外に高価でとても手がとどかない。交換はこれで二回目だが以前はもっと安かったはずと、アマゾンで調べたらやはり三千円弱でメーカー品が売っている。
商品が到着してさっそく交換、いざセルを回すがうんともすんとも言わない。これは不良品をつかまされたかとがっかりしたが、念のためクラクションを鳴らしたり、ウィンカーをいじってみても無反応。さては、とヒューズを確かめたらこれが見事に切れていた。
さいわいにもスペアがあったので交換して一発始動。
やれやれと近所を試走したが、うっかり手袋を忘れてその切れるように冷たいこと。昼間の気温五度ほどというのはよほど注意しなければならない。
奈良の寒さ、底冷えは京にひけはとらないようである。

愚挙

開発の肌むきだしに山眠る

中腹に冬日がさして、そこだけがクローズアップされる。

太陽光発電サイトを築こうと山を開発し始めたのはいいが、周辺の住民からの猛反発にあい頓挫したまま地肌むきだしでもう数年が経過している。今日たまたまそこがよく眺められるポイントに差し掛かったところ、ちょうどその部分に日が当たって一層無残にさらけだされた姿がいっそう哀れに思えた。
いったん県が許可したので工事が始まってしまったのだが、その直下にある住宅街の住民を中心とした抵抗で県も中断を要請せざるをえなかったようだ。反対の理由は事前の説明が十分にされなかったのであるが、ちょうど熱海の惨事があったことでもあり、ずさんな工事も問題視されてストップがかかったということらしい。
再生エネルギーの必要性はいうまでもないが、自然を開発するという難しさ、厳しさという相反する愚挙もまた責められるべきである。難しいところである。

停止位置

寒風や違反切符をきる巡査

気温は二度。

道路も凍りつくような河っぺりの交差点でねずみ取りとはごくろうさまである。
見通しがいいはずなのだが、運転手からは見えない角度に巡査がひそんでいるせいかときどき引っかかるネズミがいる。ほんのちょっとの停止ができなくて、うっかりのミスが何千円かの罰金と何点かの犯則点をいただくことになる。
くわばら、くわばら。毎度のことなのでこちらは馴れたもので停止線のところできっちり停まり、さらに左右がよく見える点でまた停止し左右確認するのもすっかり板についたのであるが。
さすがに寒かったのであろうか、帰りにはもう巡査の姿はなかった。

光仁会

笹酒を注ぐたすきや雪催

夕刻黒い雲が通った。

寒気が降りてくるというので空気も緊張するようにぴりぴりと感じる。
明日早く病院の予約があるので、念のため雪タイヤに交換となったが悴む手をなだめながらどうにか午前中に終えることができた。
その一年でもっとも寒い時期の今日23日、南都七大寺のひとつで一時期東大寺、興福寺と並ぶ大寺であった大安寺で毎年笹酒祭が行われる。
光仁会といって桓武の先帝である光仁の一周忌に営んだ故事にならって行われる行事。
称徳亡き後天武系が途絶え、天智系の光仁が皇位についたわけだが、若い頃複雑な立場であることから酒に逃げていたと言われ、大安寺詣での折り、笹竹から酒を注いで興じたことにちなむ行事である。和服姿に襷掛けの女性から注いでもらい、長寿であった天皇にちなみ「癌封じ」のご利益があるとされる。
今は往時の勢いを失った寺で、南都の南部にあって交通の不便な場所にあるので訪れる人も多くはないが、この日ばかりは寒風をついて善男善女が集まる。

あと少し

臘梅の先に顔ある自撮かな

花の便りがいろいろ届き始めた。

庭の水仙はいつの間にか消えてしまったが寒梅も見られるし沈丁花のつぼみもしっかり確認できる。ユキヤナギはフライング気味に狂い咲きしたり、さらに野にはとっくにホトケノザが顔を出してもいる。
これより一週間ほどは寒波がきて雪の心配もあるようだが、すでに春の兆しをあちこちに感じているので少しの辛抱であると気持ちはその先に飛んでいるのである。

老の功名

空耳にチャルメラ響く寒夜かな

坂にある住宅街のせいか屋台というのは滅多に巡ってこない。

越してから一、二度、拡声器からこぼれる焼藷屋の声をかすかに聞いたような気がするが、それも今はめっきり聞かない。おそらく若い世帯の多い団地では声のかかることがなかったのであろう。夜鳴きそば、ラーメン屋さんも同じくやってこない。
やはりこれらの商売は、午後八時を過ぎると店という店がぱったり閉まってしまう土地柄には馴染まないのであろう。
以前は駅から二分というすこぶる便利なところに住んでいたので、ちょっと小腹がすいてラーメン食いたいと思えば何軒もある店によりどりみどりで足を運べたり、ちょっと甘いものを食いたいと思ったらこれも五十メートル足らずにミスドがあったり、すこぶる重宝したのであったのが懐かしい。
NHK奈良局から流れる街の映像は真っ暗だし、「寝倒れ」と言われる県だけのことはあるが、これもまた馴れてしまえば当たり前のこととして受け止めることができるようになったのも老の功名と思うしかない。

肥後の守

三角にベースを結ぶ冬日向

この時期になると思い出す。

子供時代の遊びの数々を。
校庭の馬跳び、竹登り、相撲、山や川に行けば肥後の守や小刀を使っての玩具づくり、そして小さな空き地の三角ベース。数え上げれば切りがないほどほとんどが外の遊びである。
塾などもないし、家に帰っても寒いだけだから日がある内は外で遊んだものである。まさに子供は風の子と言っていい時代。
いっときローラースケートブームがきて競って興じたものだが、やはりすぐ飽きられたとみえてスケート場も長くは続かなかった。
今でも鉛筆削りはナイフである。削り器では芯が思うように研げないのである。今はもっぱら室内でその鉛筆を使って数独を解いている。