がんばろうの子ら成人の日を迎ふ
初場所は初日から連続満員御礼のようである。
初日の白鵬戦では、懸賞金も限度いっぱいの50本出たという景気のいい話も聞かれた。大相撲に活気が戻ってきたというのはたいへん結構なことで、遠藤など新進力士のさらなる活躍も期待したい。
復活という意味では今年は阪神淡路震災から20年の節目を迎える。成人式を迎えたのは震災の年に生まれた子たちである。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
がんばろうの子ら成人の日を迎ふ
初場所は初日から連続満員御礼のようである。
初日の白鵬戦では、懸賞金も限度いっぱいの50本出たという景気のいい話も聞かれた。大相撲に活気が戻ってきたというのはたいへん結構なことで、遠藤など新進力士のさらなる活躍も期待したい。
復活という意味では今年は阪神淡路震災から20年の節目を迎える。成人式を迎えたのは震災の年に生まれた子たちである。
石鳥居端から端へ寒雀
鳥が餌のとぼしい時期を懸命に生きている。
何とか食べ物は間に合ってるのだろうか、雀が羽を膨らませて日光浴でもしてる光景を見ることがある。束の間の休息であろうが、こういうときは決まって群れている。弱い者同士、肩ならぬ羽を寄せ合って身を守ってるように見える。
寒紅をさして女将の顔になる
寒紅や細腕稼業板につき
寒紅や亡父残せし店の味
気がついたらとうに寒に入っていた。
「寒紅」は元は紅花から作る紅は寒にできるものがいいという意味であったが、近年は寒中にさす口紅のことも指すようである。
寒紅をさして殊更の情景が浮かべば成功と言えるが、紅さす身ならぬ男のせいか、いざ詠もうとするとなかなか難しい。
夕方身づくろいして紅を引いたら、いつもの女将になっていざ客を迎える顔になったということを詠んだのだが、単純すぎるかな?
庭席の雨に打たるる寒の入
終日の雨だった。
春日大社への長い参道をたどる途中荷茶屋の庭席をのぞくと、当然ながら庭席には客はいない。かわりに机にはビニールシートがかけられていた。
寒の雨である。
日記果つすなはちわが句尽きるとき
日記果つとはその年の日記を書き終ることだという。
とすれば句日記ともいえるこのブログの果つる日はいったい何時なんだろう。
5千句めざして毎日作句すると決めた以上、我がブログが果つる日はやはり満願のときが相応しいのだが、運悪く気力体力が衰えて続けられなければその日が果つる日、もう作句することもできないときである。もし、5千句まで到達しさらに次の千句めざすとして、志半ばで途絶えても同じことである。
命果てるまで句日記を綴り続けられれば最高の人生だったと満足できるかもしれない。
長電話おえて湯冷めを覚えけり
昔の黒電話は玄関とか廊下とかが定位置。
もちろんワイアレスとてないので、暖房もない場所でうっかり長電話しようものならたいそう寒い思いをしたものだ。まして湯上がりなら湯冷めは必定。
今は湯冷めしにくい入浴剤もあるし、入浴後は暖房のきいた部屋に居さえすればまずは湯冷めなどしない。かといって長電話しようという気にならないのであるが。
今日は広告にあった室内着用のダウンベストを買ってきた。薄くて動きやすく、何より暖かいのがいい。
鶲来て朝の語らひある暮し
毎日のように雄の尉鶲が来てくれる。
時には雌をともなうこともあるが、たいていは雄単独である。発見するのは私だったり家人だったり、教えあっては暫くは彼の動きを追い、居なくなっても暫くは「あれはジョウビタキだよね」「オスだったね」云々、そうこうしているうちに今度は四十雀たちが来たりして、「シジュウカラだよね」「そうだね」云々。
なんとものんびりした時間が流れる。