団らん

スマホ見て誰も語らぬ炬燵の座
テレビ見える席が上座の置炬燵

今年は炬燵が入るのが早かった。

我が家のは炬燵と言っても置炬燵で、しかも床暖房の上に敷いたものだから、うたた寝にはもってこいだ。一応テレビのリモコンも持ち込むが、なんのことはない、ものの十分もするかしないかのうちに寝入ってしまうのが落ちである。
一昔前なら、卓の上には新聞や蜜柑のもりがあったものだが、今や新聞ではなくスマホが主役。若いものたちは画面に食い入ってメールをしたりゲームに夢中になったりで、語りの団らんというものははるか昔のことになってしまった。

歳晩

気に入りの絵をなんとしよ古暦
人に会ふ予定はやなく古暦

今日から帰省ラッシュらしい。

昨日納め句会があったし、もう今年の外出はお仕舞い。
窓サッシ、網戸も大きいところは今日終わった。一応洗車はしたがワックスがけをどうするか。残りは天気次第で決めようかと思う。
明日から娘夫婦がやってくるが、とくに何をしようと決めているわけではない。
この年末はなんか不思議なくらいのんびりしている。

ガソリン安

満タンにすることもなく年の暮

ガソリンの値段がずいぶん下がってきているようだ。

年末年始に遠出する人たちには朗報だろうが、とくにどこへ行くとも決まってないので急いで給油する必要はない。かつては洗車、ワックス掛けして満タンにする。そして車にもお飾りというのが年用意の一つであったが、今ではお飾りはおろかガソリンだって正月2日ともなれば店を開けるところも多いので、必要ならそのとき給油すればいいだけである。
昔から守られてきた季節の風景も、こうしたちょっとしたことの積み重なりによって失われていくのだろう。

正月飾り

年の市寄ればあれこれ手に取りて

大掃除もせにゃならんとまずはホームセンターへ。

入り口では松だの、いろいろ正月用のお飾りの材料が並んでいて、思わず吸い込まれるように足が向く。
葉ボタンなどを寄せ植えにした迎春用の可愛い寄せ植えがあったの買うことにした。たいそうなお飾りもしなくなって久しくせめてという思いでもあるが、実は室内にいっさいのお飾りを置くことができないからでもある。
というのも、子猫たちが来て以来いたずらがひどいのでものを置けなくなったのである。おかげで玄関などは花も飾れず寂しい限りなので、せめてこの葉ボタンの鉢を玄関先に飾ろうというわけだ。

このブログの写真は早くも迎春ムードだが、我が家の玄関先にも一足早く春がきたようだ。

常に変わらず

鶏食はぬわれに縁なしクリスマス

今日はクリスマスだという。

クリスチャンでもなく、小さい子もいない我が家には全く縁がない行事。鳥嫌いだから七面鳥はおろかチキンすらなく、甘い物をおさえているのでケーキもない。まったく普通の夜である。

最初に食ったのは誰か

海鼠とは出土されないものなりし

初めて食ったのはやっぱり縄文人だろうか。

英語でいうとsea cucumber。たしかに棘があるところなど、太い胡瓜に似ていると言えば似ている。縄文人は海のもの、山のもの、多種多彩なものを食していたので、無骨な生き物とはいえ簡単に手に入る海鼠も当然食べていただろう。
だが、発掘された遺跡からは猪や鹿、鳥の骨などが発見されているが、海鼠の痕跡は聞いたことがない。棘皮動物なので骨もなければ、腸すら海鼠腸にして食ってしまうほどの日本人だからなおのことであろう。

年賀状書き

住所録整理してゐて冬籠

寒い日が続いたと思ったら今日は雨だ。

一日中ただ部屋に籠もっていても仕方がないので、なかなか腰があがらなかった年賀状書きをすることにした。「書き」というより「印刷」と言った方がいいかもしれない。
パソコンを新しく買い換えたら古い宛名書きソフトがインストールできなくて回り道させられたが、住所録は何とか最新のものに更新完了。今年は同級生を二人も失い、今年届いた彼らの年賀状を読み返すのが無性に悲しい。
こうして、一人、二人欠けていって何時かは自分の番になるのだろう。それは明日かも知れないし、あるいはもう少し生かされるかも知れない。いずれにしろ毎日に緩びのないよう、無駄に生きないようにしたいものだ。今年もあと10日あまり。明日から2回に分け今年を振り返って、「今年の句」を取り上げてみよう。