留守番の鶏

宮鶏の声おほどかに神の留守

今日は石上神宮吟行。

乗り換えに行き違いがあってスタートからして大遅刻。30分足らずの吟行ではとてもじゃないが満足行くものが詠めるはずがない。
救いは、鳥居をくぐるとおびただしい神鶏たちが目につくことだった。どれも美しい鶏たちだったが、とりわけ東天紅という種類だろうか、尾の長くて砂地を引きずりそうな鶏が優美に何度も自慢の喉を聞かせてくれる。宝剣の七支刀が県立美術館に貸し出し中のうえ、主神以下全員出雲にお出かけの神無月、しかもこれぞ小春という日だからだろうか、みなのんびりと境内を行き来しながら、ひなたぼっこを楽しんでいるようかのようである。

当日の句会はさすがにこの神の鶏を詠んだ佳句が多い。多すぎて、どれを採っていいやら判断にも困ってしまうほどであった。

雨の大和川

鳰のよく潜く日なりし大和川

浅い川だが流れはそこそこある。

上流から流れてきたかと思えばすぐにまた潜水してあらぬところに顔を出す。
いつものパターンだが、今日はいつもよりも頻繁に潜っているようである。
川の冬もだんだん本格的になってきた。

ここんところ今年生まれと思われるカワセミがいつもの場所で羽を休めているのを目撃することが多い。どうやら二羽がいて場所争いをしているようであるが、どちらが勝者になるにせよこんな大川では小魚が散っているので冬を越せるようないい餌場にはむずかしいだろう。
魚を獲ることにかけてはやはり水中を自在に動ける鳰に分がある。

四年の重み

汗浮かべ紅薄かりきスケーター

明らかに調整の失敗ではないだろうか。

真相は当事者にしか分からないだろうけど、この冬あれだけの実績を残してきた選手の実力からすれば、こんな惨めな結果にはならないはずだ。大会直前にいたってよほど自信を失わせてしまったのじゃないだろうか。いっぽうの弓弦君を見事に世界一に導いたコーチがあるかと思えば、悪いなりに割り切って滑らせることができなかったコーチの責任というのもあるんではないだろうか。

前半部分であまりいい成績を残った選手たちの、薄化粧が汗を浮かべながら練習に励んでいる姿には痛々しいものさえ感じてしまうのだった。

今夜のフリー演技はとても可哀想で見ていられない。

(補)外出につき予約投稿です。思わぬどんでん返しの大逆転があればいいのですが。

花瓶を置く

蝋梅をほめて一枝剪りくれし

散歩中すばらしい蝋梅があったので声をかけてみた。

ちょうど満開一歩手前で枝振りとしてはピークと思われたのである。二言三言言葉を交わしているうち、持ち主がやおら剪定鋏を持ってきて一本持って帰れという。さらに、玄関においたら香りがいいよとアドバイスももらう。
ありがたくいただいて、芳香を楽しみながら帰宅したのはいいが、よく考えたら玄関はだめなのだった。なぜなら、若い猫どもに下駄箱の花瓶を割られたことがあって、以来いたずらの対象になりそうなものはすべて隠すしかなくなったのである。結局、我らが寝室が落ち着き先とあいなった。猫どもを入室厳禁にしているのはここしかないからである。

ひとつの風化

柊を挿したる門の鎖したままひいらぎをさしたるかどのさしたまま

いつ通っても柊をさしたままの家がある。

自宅のある住宅地の縁にそって囲むように旧家があり、その中の立派なお屋敷風の一軒というのが節分になると戸という戸に柊を挿しておられる。翌日以降もその家の前を通るたびいつも決まって門は閉じられているが、柊だけはずっと戸のあいだに挿しこまれたままである。

同じように立派なお屋敷がいくつもあるが、このように柊を挿す風習を守っておられるところは他には見当たらない。歳時記だけに残った行事やしきたりというのは、このようにして風化してゆくのだろう。

稽古

保育所に響く鼓笛や春を待つ

卒園式の練習だろうか。

あるいは最後の発表会に供えての練習かもしれない。通りかかると鼓笛の稽古が外まで聞こえてくる。
今は受験の月だが、そのうち卒業、卒園シーズンへと時は確実に歩をすすめてゆく。

梅ほころぶ

双握りずつ振りかける寒肥かな
円を描くやうに施す寒の肥

陽気に誘われて庭仕事。

以前に買っておいた油粕の粉末があったので、寒の戻りがくるまえに寒肥として樹木に与えることとした。一通り終わって気づいたのが、白梅のほころび。今日あまりに暖かかったせいだろうが、今週また冷え込むという話だからこのまま一気に開花するのではなく、また引っ込んではほころぶ、そんな繰り返しをしながら満開へと向かうのだろう。

寒い当地にも季節はまぎれなく巡ってくるのだ。