忘年会

夜廻の反射テープの遠目まで
夜廻の光るベストの角に消ゆ

猫たちがそろって耳を立てたので外へ出た。

締めきっているときは正体が分からなかったが、今夜は年に一度の定例の自治会の夜廻りのようだ。
夜目でよく分からぬが足もとの動きから構成はどうやらシニア中心らしい。今年は全員が反射テープのベストのお揃いで遠目にも集団がよく見える。
コロナ以来自治会活動から遠ざかっているのでお声がかからなかったようだが、いつもならこのあと役員の忘年会をかねた打ち上げで、餅搗きあり、蕎麦打ちあり、焼き肉ありの賑やかな夜になるところだが、さてどうなったであろうか。

碧い目の孫

ウクライナ嫁に聖樹の灯るなし

かつてイルミネーション賑やかだったお宅がこのごろ灯さなくなったところがある。

駅からのぼってきて真正面に見える家には庭から屋根までかかるクリスマスイルミネーションがあって、下からのぼってくる人間にとってはいやでも目に入る立派なものであったが、いまは雨戸をおろすと何の変哲もない家となっている。
東京にはウクライナ出身の女性を妻とするご子息がいて、日頃から孫が可愛くてならないという御仁が住まわれている。受難のご親戚をおもんぱかってのことかどうか分からぬが、そう言えばここ何年灯ったのを見ていないような気がする。省エネが言われるご時世への姿勢かもしれぬが、勇ましい話をただたれ流すマスコミの無気力にそこはかとなく不安を感じ始めた市民がいることは間違いない。

一袋

スコップよりするりと逃げて落葉搔

雨でいくぶんしんなりとしたか。

昨日集めてきた櫟の落葉は乾ききっていてその軽いこと。
すくってもすくってもスコップからこぼれて効率が悪い。量をかせぐため踏んづけてはその上に積むのだが、たちまちボリュームを取り戻して袋にあふれ出す。
公園などで厚い落ち葉の上に野良猫がまったりとしているのを見かけるが、あれはこのような落葉の嵩がたっぷり空気を含んで、しかも日光を浴びたりするとよほど暖かいに違いない。庭にいるみぃーちゃんにも一袋集めてやろうかな。

腰痛

こしかたを眼下に眺む忘れ花

木のあいだから平群谷が見える。

落葉樹はあらかた葉を落としたので、それをいただきに山道へ入った。おおかたは櫟のようである。
黄色い収穫用ケースに二杯、さらに75リットル入りポリ袋六分目ほど。これを畑の空いた場所で腐葉土を作ろうというのである。
youtubeなどを参考に、こうして作る腐葉土を夏野菜の苗作りに利用するのが目的である。
いまやこのようなノウハウが簡単に手に入る時代となって、論より証拠の実例を目の当たりにできるので心強い。
比較的時間のある今こそトライアルする価値があるだろう。
ただ、スコップで落葉を何度も掬ったせいか腰が微妙に痛いときた。悪くならなければいいが。

眠らんと

すべからく風も枯れゆく冬薊

久しぶりの色に出会った。

この時期の鮮やかな紫に足が止まる。
どの角度から見ても凋落の面影は微塵もなく、その毅然とした立ち姿にみとれるばかり。
振り返れば生駒の山並は枯れなんとして雑木紅葉が燃え尽きる寸前の風情。山が眠ろうという姿もまた美しい。

好日

大根のぬいてくれろといふ天気

ほとんどが虫に食われて消えた。

大根は何本かが生き残ったものの生育がよくなくて、大きくても直径5センチほどしかない。
これだけ寒さが本格化するとこれ以上太くなることはあるまいと試しに抜いてみた。股根になることもなくすうっと伸びた一本だが貧弱さは否めない。
ジャガイモの跡地に葱を移植するついでに葱も何本か抜いてみた。こちらはいかにも葱らしいいい匂いがする。
ひさしぶりの小春日和に、手ぶらで帰らずに済んだ好日である。

見切り

霜枯れて零余子の蔓のぶうらぶら

一夜で見違えるほどの萎れようである。

顕著なのは馬鈴薯の葉。萎れたうえに先端が真っ黒である。
こうなるともう薯の成長は見切って掘ることにした。
暖かい日が続いたせいか形はもうひとつ小さいようである。それでも、何ヶ月かは食べられるくらいのものは穫れた。
おなじ薯でも自然薯を栽培しておられる区画もある。こちらも今が収穫期で、穫るには小さすぎて残されたままの零余子が、枯れかけた蔓に風で震えている。
菜園では少しでも体の動きを止めるとすぐに寒くなるように、いよいよ冬ざれてきた。