エアポケット

積むほどの雪ではなしと奥に告ぐ

久しぶりに雪という雪が降った。

年末にはどこかから飛んでくるようなものがあったが、今日のはほんとの雪だ。
はじめは粉雪、昼頃からは牡丹雪に変わってやがて気がつけば止んでいた。半日ほどは降ったろうか。
この辺りに雪が積もったのは10年以上も前に引っ越してくる前年のことで、不動産屋が言っていたように奈良でもめずらしく雪が降らない地域らしい。大和川が大阪府にぬけるあたりで生駒、葛城の山あい。そのあたりがエアポケットのように雪が少ない。
それは雨も同様で、盆地の他に雨が降ってもここだけは降らないことが多い。雨がほしいのに素通りされるとひどくがっかりする。

餅腹

食積の総じて薄き塩加減

数の子を除いてどれも薄味。

年々歳々薄塩となるにも馴れてはきたが、さすがに箸がよく延びるのは醤油味がきっちりしみたごまめ、あるいはもともと塩分を含む蒲鉾や数の子、できあいの昆布巻など。ただ、長年舌が薄味に馴れているせいか、どれも少し塩っ辛いように思える。
そのせいで喉がよく乾くのか、朝から何杯目かのコーヒーもめずらしい。
酒を飲まないし、帰省中の婿も下戸なので屠蘇もなし。
あさから餅でふくれた腹に午後は餅入り善哉をまたたくまに平らげて、この勢いではさすがに胃の方がちと心配になったりして。

あけましておめでとうございます。
ことしもまた俳句三昧の年になりそうですがよろしくおつきあいください。

再会

大年の空掃き清め細雪

久しぶりに外の店で昼食を食った。

冬休みとあって混んではいたが、ふだん見かけない垢抜けした若い男女がちらほら混じっている。帰省中の学生や勤め人などが久しぶりに旧交を温めているようにも見え、ほんとにこの冬休みは束の間のコロナ休戦なのかもしれないと思えた。
我が家も3年ぶりの親子再会となった。次回会えるのはいつのことか先のことは見通せないが、行く年を親子で過ごせることもまたよきかなである。
昼食を終わって外へ出るとちらほらと雪が散ってきた。天気は悪くないので風花かもしれないが、大年を締めくくるのにふさわしい雪見舞いである。

年月

机辺のもの棚に師走の晦日前

ふだんの座もさすがに片付けようという気になる。

と言うてもいつも座っている今の卓の手の届く範囲だけど。
まして今年は娘たちの帰省もあるのでその場をあけねばならない。
するともう何十年と使い込まれた卓の塗りがあちこち剥げているのがあらわれて、ほとんど子供たちの齢と変わらない卓の年月がいとしく思えるのだった。

あらたまる

満タンにして洗車機の年用意

水が極端に冷たくなってきた。

もともとクルマを洗うのは好きでないが、齢とともにますます億劫になってきた。
ここ二年ほどは一度も洗った記憶がない。
今日は頼まれて原付バイクのガソリンを満タンにしてきた。原付だから満タンといっても3リットルもいかない。
ただ、正月に向かって「満タン」という響きは悪くない。年があらたまるということは気持ちもあらたまるのであるから。

自治会

寒柝やかあと一杯ひつかけて

二年ぶりに寒柝の声を聞いた。

毎年年末になると住民の自治会役員の忘年会をかねて夜回りに出るのが習いになっていた。
「いた」という過去形なのはコロナ禍で忘年会も夜回りも中断していたからだ。
それが今年行われたということは自治会活動もようやく再開されたということだろう。
ただ、再開されてもこのあと第六波感染が広がれば自治会活動もまた低調になりかねない。
自治会活動というのは歷史的にある意味行政の下請的な役割を負っていて、広報の配布やら自主的な防犯防災活動などさまざまな活動が組み込まれている。
寒柝の拍子木なども行政から補助があったりして、夜回りなどは防災活動の一翼を担っている。
数年役員をつとめたが、まづは一杯ひっかけてから寒空に向かったものだ。

防護

床屋嫌ひの髪をのぞかせ冬帽子
はち張りの七難隠す冬帽子

何年も同じ帽子をかぶっている。

形がよくて気に入ってるわけでもないのだが、耳まですっぽり包み込んでくれるのが暖かくてもう十年以上の愛用品である。とくにここ数日は身が切れるように風が冷たいので必需品である。
若い頃から帽子はわりと好きなほうで、一時はハンチングを愛用してもいたことがある。夏でも冬でも必ずと言っていいくらい帽子をかぶる。逆に、この寒空や酷暑でやや薄くなりかけたひとが無帽でいたりするのをみたりすると大丈夫なのと心配してしまう。
帽子は暑さ寒さから頭を守ってくれるだけでなく、ものにぶつけたりして傷つくことも防いでくれる。気候が極端に触れるようになった昨今は積極的に着用して身を守りたいものである。