つぶやく

風の子を頭に寒柝隊すすむ

年末恒例の寒柝隊が住宅街を練り歩く。

暖地のシニアを中心とする忘年会を兼ねた余興みたいなものだが、醉いがまわった体で広い坂の街を行くのだからけっこうきついものがある。
自治会の役員を降りてからは、もっぱら自宅で隊が通り過ぎるのを聞くだけとなっている。ご苦労さんと呟くのみの暮である。

終活の第一歩

宛名帳とうの昔よ年の暮

とっくに鬼籍に入った友の誕生日の知らせが自動的に届く。

亡き後も本人のアカウントが消されず残っているため、システムはオートマチックに毎年知らせるのである。
考えてみれば、幾多のメールアカウントも持ってるし、いちいち覚えきれないくらいあちこちのサイトに登録しているので、死んだときのことを考えれば、そろそろ整理しなくては思うのだがなかなか腰が上がらない。
例の友だちの誕生日を知らせるFacebookには、死後の後始末を任せる者を指名しているので何とかなると思うが、銀行やクレジット会社、電気、ガスなど電子化しているところが多いので、私の断捨離はまずはそういう所から始めなければならないだろう。
しかし、早くに廃止するのも不便なことでもあり、いつも悩ましいのである。

煤逃げ

数へ日の夕飯ははて何にしよ

年賀状でも書いているのか、午後五時を過ぎても居間に降りてこない。

夢中になっているうちにすっかり日も暮れてしまって、開口一番「晩ご飯、何にも決めてない」と。
大掛かりな大掃除などはもう何年もやったことないが、それでも多少は身の回りのものを片付けたり、軽く拭いたり、この正月は久しぶりに子供たちの帰省もあるから、その準備も。また明日あたりからはお節の準備もぼちぼち始まるだろうし、主婦の忙しさは亭主のお気楽さの比ではない。
亭主は煤逃げと称して猫どもを相手に遊んだり、へたな俳句を詠むのにご執心で。
ああ、年末の主婦は大変だ。

発心

エアコンの一機に暮れし煤払

使用止めにしていた13年目を迎えた台所兼ダイニングのエアコンをクリーニングした。

この夏使おうとしたとき、ファン回りの脂混じりの埃があまりにもひどいので使用禁止にしていたのだった。こんな汚れた空気を吸っていたのかと思うとよく体調も崩さずにきたものだと感心もするが、素人のエアコンの分解掃除は難しかろうとあきらめていたのだ。
が、やはり続きの居間からもらう暖気では不便でもあるので、ネット検索でエアコン掃除の動画などをみ調べ暖かい今日をねらって一念発起したのである。
ダイソーなどで必要な道具などを準備し、ファンの羽根300枚ほどの脂混じりの埃をこつこつと拭く。今度はセスキ+アルカリ分解液など吹きかけ汚れを浮かし、そのあと水で洗い流す。
おかげで、カビ臭も消えてきれいな空気がルーバーから流れるようになった。
とりあえず使用頻度の高い一機だけで半日を費やしたことになったが、同じ型のエアコンが他に四台あってこれはまた来年に申し送ることとした。要領が分かったことでもあり、汚れはそれほどでもないはずの殘りは半分の3時間ほどでできるだろう。

がんばろう

冬木の芽数ふるうちに暮れにけり

冬芽もずいぶんしっかりとしたきた。

このまま春が来るまで内に力を蓄えながらじりじりと育ってゆくのだろう。

これらの冬芽が動き出したときが春萌の始動である。それまであと二タ月くらい。頑張れ、がんばろう。

陽転

掃け雲に薄ら日もるる冬菜畑

気温が低いながら穏やかな日である。

空をあおぐと飛行機雲がうすく広がったのかどうか、うっすらと掃け雲が広がっている。
それらを通してさしてくる日射しは柔らかく、枯芒や畑の葉物などをきらきらと輝かせている。
今日から学校は冬休みに入ったようで子供たちの姿もあまり見ないし、行き交う人もこの寒さではさすがにまばらだが強ばった体をほぐすためにも短い散歩に出た。
合計一時間にも満たない散歩だが、体を温めるには十分で帰ってからもしばらくは体がぽかぽかしている。
昨日の陰の極みを抜けていよいよ春に向かう「陽転」である。あと二月ほどがんばろう。

冬なか冬はじめ

県南の雲漆黒の冬至かな

吉野大峯の空が真っ黒である。

よく見ると、大阪南部より金剛山系を越えて流れ込んでいるようである。
あの分では南部の山は雪にちがいない。
おりしも今日はこの冬一番の冷え込み。奈良市内では氷も張ったようである。
わが家はさいわい外栓の凍結はなかったが、明日の朝は零度だというからまず逃れられまい。
昼間の室内温度が14度。夕方にはとうとう耐えられず床暖に加えてエアコン暖房も入った。
冬至は冬なか冬はじめと言われるように、暦では冬の折り返しだが、実感でいうとこれからいよいよ冬本番である。