黄の蒲団

銀杏散る宗教都市の道また道

天理市に迷い込んだ。

どこを走っても似たような独特の建物がいくつもあって、はてここはどこなのか、いつも異郷に来たような錯覚にとらわれる。
天理市はいうまでもなく天理教本部のある街だが、教団の他、大学校舎、宿坊、どれをとってもみな大きな敷地や建物で一見しただけでは見分けがつかないほどである。このうちのどれかが市役所であろうが一見さんにはまったく区別がつかない。
しかし、石の上神社に行ったときとか何度か通過しているが、まさにこの季節に訪れると奇跡のような景色に酔い痴れてしまうのである。街路樹の多くが銀杏でこれが一斉に紅葉し、散ればまた道路、舗道一面が黄色一色に染まる、まるで黄色の蒲団にくるまれたような暖かささえ感じられるのである。
今日は黄落のピークが過ぎた感があったが、それでも十分に楽しませてくれた。

師走の雨

南天の実に大粒の雨しきり
南天の実の雨垂れを諾へる

予報が外れて結局雨の一日だった。

月に一度の診察をのぞきいくつかの予定が狂ってやることもなく庭をながめていると、すっかり色づいた南天の実が、これまた紅葉した葉とともに雨の重さにしなだれている。一粒一粒に、一枚一枚に雨がのれば枝全体がたわんでしまうのは道理である。
うっかりそばを通るとしとどに雫を浴びてしまいかねないので、見るだけにとどめては恨みの師走の雨を仰ぐしかない一日であった。

邪険

コンテナのあふれ師走のバックヤード

宅配営業所は今かき入れ時。

これから、配達あるいは全国へ旅立つ荷物で作業エリアところせましと荷物を摘んだコンテナが並んでいる。
最近移転オープンした営業所で、以前より三倍も四倍も広い敷地なのに、それでも足りないというくらいの荷物の量である。
コロナ禍のころに比べたら格段の賑わいであるようだ。
久しぶりに荷物を出しに持ち込んだら、受付業務もずいぶんスマートになって端末でちょんちょんと叩くとあっという間に伝票が印刷されてゆく。大口顧客向けのアプリもあって、受注メールに記されたQRコードをかざすだけで簡単に発送できたり、人手不足が言われるなか、荷の増加に対応するためにもこうした業務の迅速化をサポートするシステムは欠かせないはずである。
スマホなど使いこなせないとまことに手がかかる客として邪険に扱わなければいいが。

同伴者

老いたれば綿虫の歩にしたがへと
仲間来て綿虫われを見捨てけり

今年はなかなか見ない。

いつもなら12月のはじめ頃となれば庭先でいくらでも見かけたものだけど。
今日散歩の途中でようやく遭遇することができた。風もなく穏やかで綿虫にとっても人にとっても最高の日和なのだが、一匹だけまるで斑猫(道教え)のように先導してくれるのでしばらくついてゆくことにした。もちろんその歩みは緩慢で、坂道を行くには老人にとってはちょうどいいペースメーカーのようである。
やがてさらにもう一匹の綿虫が現れると、やっぱり仲間の方がいいとでも言うようにふっと道を逸れていった。
しばらくの同伴をありがとうね。

熟すまでの命

けふよりはひとりぼっちよ木守柿

ついこの間まで鈴生りであった木。

それが、すっかり葉を落とすだけでなくひとつを残して実ぐるみの裸となっていた。
ぽつんと残された一つの実は木守柿。来年もまた生るように、ひとつは鳥たちののために残された。
鳥が食べるのは熟してからだから、年が明ける頃にはひよどりたちがやってくるだろう。

冬の黄砂

上棟のクレーン突き上ぐ冬の空

住宅街の一画に見馴れぬ車の列。

上棟の応援に駆けつけた大工さんたちの車だろう。
今日は屋根の板まで葺いていたから昨日からつづく作業だったのだと思われる。
菜園にいつも車でやって来る人が、慣れぬ場所で駐車しようとして側溝に前輪を脱輪するというアクシデント発生。大声で応援を頼まれたので通りがかりの人にも頼んで、「せいのー」で一発で脱出。さいわいFF車でよかった。後輪駆動なら太い丸太でもなければ難しいところだった。
冬とはいえ、遠くが霞んで見える。この時期の黄砂のようである。明日も黄砂予報が出ている。

朝の運動

一度では点かぬ燭台今朝寒し

畳、座布団まで冷たくなってきた。

おまけにマッチならぬライターの点きも悪くて、ひねる指まで冷たくなる。
暖房の入った部屋との温度差で仏壇の置かれた部屋はよけいに寒いのである。7時を過ぎないと日が昇らない部屋は芯まで冷えている。
声を出せば少しはましかと声量を上げてみるのだが、やはり覚束ない。冷房の時期ではないので声はよく出るのだが、その程度では暖まらないのだろう。
この後、部屋の掃除を終わる頃になってようやく少し温まる。これが夏だと大汗をかいてしまうのだが冬にはちょうどいい運動である。