見上げれば見下ろし返す枯木山
ついこの間まで見事な雑木紅葉を誇っていた。
それがずんずんと色を失って、夕まづめには黒い塊のような厳しさを見せている。
無駄を削いだ山の美しさが目の前にある。
第一歩を踏み出すたび目に入るその山にはすべてをお見通しであるような威圧さえ感じるのであるが。
今日は昨日とうって変わって信貴颪もなく穏やかな日だけにかえって無言の圧をもって迫られるようである。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
見上げれば見下ろし返す枯木山
ついこの間まで見事な雑木紅葉を誇っていた。
それがずんずんと色を失って、夕まづめには黒い塊のような厳しさを見せている。
無駄を削いだ山の美しさが目の前にある。
第一歩を踏み出すたび目に入るその山にはすべてをお見通しであるような威圧さえ感じるのであるが。
今日は昨日とうって変わって信貴颪もなく穏やかな日だけにかえって無言の圧をもって迫られるようである。
鍵つ子は鍵つ子どうし日短
学童保育から帰宅する頃辺りはすっかり暗くなっている。
父母が帰ってくるまでにはまだ間がある。これが夏だと遅くまで公園などで遊ぶこともできるが、冬ともなると寒くて暗いので外では遊ぶことが難しくなる。
隣家の二年生も父母の帰宅までお互い留守の家を訪ね合ったりして時間をつぶしているようだが、やはり気になるものでときどき家の灯りを見るともなくチェックしている。六時になっても灯らないこともあって何もなければと願うばかりである。
さいわい、友だちは多いようで、自宅の駐車場に何台かの子供用自転車が停まっているのをみると健やかに関係を築いているように思えるのが救いである。
起重機の砂底浚ふ冬の川
ダンプカーの出入りが多い。
ここは毎年大水が出るたびに氾濫するエリアである。
堤防のかさ上げ工事が何年もつづいているが、それでも毎年数回は警報が出るところだ。
その川はいましも水量の少ない時期を狙ってか、川底を浚っているようだ。
ダンプカーが一度に運べる量なんてたかが知れていて、一日中行き来していても目に見えて砂が減っているようでもないし、これは相当時間がかかるようである。
寒風に水抜きの溝掘りもして
今日は風の冷たい一日だった。
日が当たっているうちはまだよかったが、午後から陰るともういけない。体を動かさなきゃということでスコップで溝掘りである。
冬の間に雨水が溜まりがちな菜園の水捌け改良の土木工事である。
もとよりブルドーザーもトラクターもないので、人力を賴りの作業である。
しかし、その程度ではなかなか体は温まってこない。水っ洟をたらしつつ一時間ほど粘ったがもう限界で切り上げることにした。殘りは天気のいい日にしよう。
極月のシニアクラブに誘はるる
今さら群れようとは思わない。
今月も団地のシニアクラブへの参加をうながす回覧板が来た。何をするわけでもないが、毎週の百歳体操、そして12月は忘年会を兼ねた餅搗きと夜廻り。それはそれで楽しいのだろうが、長い間暮らした東京を捨て、つまりこある意味ではれまでの人生を捨てて当地に終の住処を求めたのだからもうややこしい人付き合いは御免だ。何時死ぬとも知れぬ年寄りどうし、人生のどん詰まりにいる者が群れてこのさき何かいいことあるだろうか。
菜園などでたまに若い世代と交わることのほうがよっぽど刺激をもらえて楽しい。
歳相応の断捨離というものは何も物だけにかぎったことではない。
白砂に配置の妙や散紅葉
ことしほど庭のいろは紅葉が見事だった年はない。
毎朝庭に出るたび心奪われていたが、どうやら散りの時期を迎えたようだ。
白砂と書けば枯山水を思わせるが、何のことはない。天気がよければ毎日欠かさない猫砂の日干しである。これを取り込もうとしたら、いい具合に紅葉が散っている。
そうなると、トイレの砂と言えどどこぞのお寺の枯山水の庭然としておると言えばオーバーだろうか。悪くはない。
猫どもは知ってか知らずか、今日も気持ちよく砂を掻いている。当主はひたすら掃除番をおおせつかっておる。
電線の禽に名を問ふ冬の空
空が騒がしい。
見れば家の前と向かいの電線に100羽以上の見慣れない鳥が群れている。
鶫に似ているがそれよりは小さく、椋鳥のようでいて脚や嘴が黄色くない。いったい何だろうか。
家に戻って双眼鏡を持ち出したがよく分からない。似た鳥を検索してみるがどうもうまくヒットしない。
判然としないまましばらく眺めていたが、やがて一二羽が飛びたつと群がいっせいにどこかへ去ってしまった。