ルーチン

窓閉めて音を失ふ驟雨かな

朝から蒸し暑い。

早くも9時から冷房のスウィッチが入る。
最近の窓ガラスは気密サッシになっているので、いったん閉めきると紫外線や熱だけではなく音までも断たれる。
激しい雨が降り出しても気がつかないこともしょっちゅうである。今日も例によって猫トイレの掃除を終えて砂を天日干ししていたが、家人に教わるまでは雨に気がつかなかった。
気づいたときには時遅し。猫砂がたっぷり水を吸い込んで重くなっている。日干ししながらいくつかの猫砂をローテーションで回しているのが予定が狂ったことになる。
餌をやったあと四匹の猫トイレの清掃、水洗、砂交換が日課で、それに夏の間は植物への水やりも加わって一時間以上はゆうにかかっている。また、夏畑の様子見も入れると一時間半は決められたルーチンにとられる毎日である。
すでに汗でぐっしょり。一息入れられるのが朝飯終わって九時頃か。
いやもうひとつルーチンがあるのを忘れていた。猫のブラッシング、勤行を追加だ。
四匹と外猫一匹がいるとどこへも行けない毎日である。

一入

校庭に映写機すゑて夜の秋

回顧であり夏の夜への回帰願望である。

夏休みとなると学校で映写会が催された。たいがい模範的な演し物ばかりだがこれといった娯楽が少ない時代の産物である。その証拠にはテレビが普及して一家に一台の時代になるとともに姿を消していった。
校庭の木などに結びつけられた幕は風などで映像も揺らぐがそれも愛嬌。明かりを求めて虫が集まり、ただでさえ雨が降るフィルム映画がなお古びて見えるのだった。僕の記憶ではオール天然色というのはなくてみなモノクロだったように思う。やはり古い映画だったのだろう。
当時の夏の夜の涼しさが一入懐かしく思われる。

咲き継がす

朝顔や単身赴任の留守家族

小四の長男は、父の不在のあいだ芝生の水やり当番を引き受けている。

やんちゃ坊主だったが、この春からのわずかな時間できちんと留守を守っている顔に少し大人になってきた風がでてきた。
二つ下の弟にも兄らしい貫禄がついてきたようにも思う。
庭には学校から持ってきた朝顔の種を取り続けて毎年花を咲かせている。
今年も紫色の朝顔がネットに揺れている。

塩分

血の気やら塩気抜かるる溽暑かな

今日も熱中症アラートがでた。

朝8時にして猛暑。少し動くだけで汗が腕をつたう。
あまりにも暑くて多い日には一リットル以上の麦茶を飲んでる計算になるが、こうも連日つづくとやはり塩分も補わなければならない。
それには梅干しを水にとかすのがいいと教えられた。できれば水や麦茶ではなくスポーツドリンクなどのほうがいいとも。
たしかに、全身汗まみれになる日を過ごすうちに、塩分や必要なミネラルが知らないうちに失われている可能性がある。
気をつけなければと思う。

自由の見返り

ものかげに気配消したり旱猫

どんなに暑かろうが寒かろうが、大雨であろうが雪であろうが入ってこない。

しかし庭の周りのどこかには居るみぃーちゃんである。小さい頃よほど人間に痛めつけられたのであろう、そのトラウマから10年間棲み着いているが食事以外のときは決してそばにやってこない。
この季節、道路など地表近くの温度は50度以上にもなるだろうから、日向の中を歩くのも火傷覚悟の移動のはずである。水を置いてある場所へも日が当たる昼間は寄りつかない。現に、幼い迷子の茶虎が三年前の今ごろ我が家にたどり着いたとき、前後の足指すべて爛れていた。昔とちがってよほど山間部でない限りほとんどの道路は舗装されているから、動物たちにとっては移動の時間が限られる季節でもある。
三食をもらいに勝手口に来るみぃーちゃんが今日昼になってもやってこない。どこか涼しい物陰にいるのだろうが暑くて来れないのだろう。あるいは暑さで食欲がないのか。
よくあることだからそんな風に考えていたが、たまたま外へ出たらまだ日陰になっている北側の室外機の下にうずくまるようにしているではないか。声を掛けたら鳴いて返事するので餌を用意したら寄ってきた。
家猫とはいえ外で暮らすことを選んだ自由の見返りが、この異常気温のつづくなかで命をつながなければならないかの苛酷を思う。

乗鞍高原

夏の雲傾けバイクダウンヒル

銀、鼠、白などさまざまな白色の雲が沸き立った。

久しぶりに風のある日。36度が予想された日だがこの風のせいか思いの外過ごしやすい。と言っても程度の問題で、暑い日が続いていることには変わりはない。
少し動くだけで玉の汗。それでも原付で飛ばしている間はすうっと汗が引いていくのが分かって気持ちいい。着いてしまえばまた汗が噴き出すのであるが。
山の上にパノラマのように広がった夏雲を見ていると、乗鞍スカイラインの空に思いが飛ぶ。バイクを傾けながら一気にダウンヒルしたらさぞ気持ちがいいだろうと。

べつたりと黒く塗られて夏の山

夏ぼけしてしまったようである。

昨日の投稿が頭からすっぽり抜け落ちてしまっている。翌朝の今、パソコンを開いて気がついた。
ここのところ天気がいいせいか、むしろよすぎるのだが、三重県境にある高見山がよく見える。
もちろん雪はないので、あの険しい岩峰はべったりと塗られたように黒く一つの固まりのようでもある。ここからはちょうど兜のいただきのように尖って見え、周囲をぬきんでるようなシルエットはいつもより近くに見えるような気がする。
あの山はそばへ寄れば寄るだけ不気味な怖さを感じる山だが、こうして遠くに見る分にはあの先に伊勢があるのだと思うと妙に懐かしさも感じることがある。
我が故郷の海が恋しい。