ビギナーズラック

誘はれて桜の下の写生会

あれは四年生になる前の春休みだった。

新学期より水彩画を習うことになっていて、道具一式買ったばかりだった。
クラスの仲のいい友に誘われてさっそく写生会に行くことになった。
絵の具の使い方すら知らずどうやって描いたか、今となってはさっぱり思い出せないが、河原に降りて土手の桜を見上げるような構図だったことだけは記憶している。誰に教わるでもなくよく思い切って大胆に描いたものだと今でも思うが、なんとそれが入賞してしまったのだ。
後日クラスの先生から賞状を渡されてそのことを知ったのだが、まさかの話におどろくとともにおおいに刺激になったことは確かである。
ただ、どうやらそれはビギナーズラックだったようで、その後は鳴かず飛ばず。絵とはもっとも遠い人生となったのである。

花散らし

山かとも野とも分かたず花の雨

こぬか雨にものみな真っ白になってしまった。

山裾には淡い桜が満開のはずで遠出をせずとも眼福の至りなんだが、それが雨のけぶりによってすっかり周りと同化してしまっている。
今日が満開宣言なので花散らしの雨にならないか心配である。
明日は花冷えの予想が出ている。コロナ以来出かけてまで花を見に行こうとは思わないが、せめて昼間くらいは外で眺めていたいものである。

流れる

つくしんぼ胞子はぢける惚けぶり

触れば胞子がぱっと散る。

もうピークが過ぎた感ある土筆だが、完全には開ききってない群落を見つけたのでダメもと覚悟で摘んできた。
畑への途中、今日も道草。
ウェストバッグには収穫用のポリ袋も入っているので、一握りほどを収めて持ち帰ることに。
天気はいいし、鶯はもう立派な鳴き声を聞かせてくれるし、午後の爽快な時間はゆっくり流れてゆく。

人知れず

百姓のたのみの水や残る鴨

山から沁みだした水を引いている。

本格的な田植を前に今は水をためる時期。下の田に十分な水を届けるには、梅雨入りを待たねばならぬほど水の乏しい盆地にはこのような溜池があまたある。崇神天皇陵濠などは、その後手を加えられて今では堂々とした農業用水池となっているほどだ。
わが菜園に流れてくる水もここの池を水源としていて、どんなところか見たくて来てみたが一羽の鴨が浮かんでいた。杉菜の子の宝庫であるここは一般の人はこない。あの鴨は人知れずここで命を終えるのであろうか。

満喫

青鞜や此処に野の花彼処にも

散歩コースをちょっと離れて一人吟行。

ナズナ、ホトケノザ、タンポポ、ハコベ、姫踊り子草、カラスノエンドウ、レンゲ、スミレなどが田んぼ、畦道にびっしり。写真をアップしようとしたら久しぶりに持ち出したカメラの設定が悪かったようでうまくいかない。
寄り道ついでにとふだん人が出入りしない溜池へのどんづまりまでいったらお宝を発見した。土筆の宝庫である。だれも手をつけないとみえて、堤の両側にそのままスギナになりかけた土筆が一面に生えている。来年は家人をさそって土筆摘みを楽しめそうである。
そのため池に目をやらずとも見えるのは鴨一羽、金黒羽白という渡り鳥が残っていていったいどうしたのか。仲間はもう北へ帰ったのではないか。もしかして帰る体力の残されてないのかもしれないと思った。
燕が水面にタッチアンドゴーを繰り返している。
今日の午後は田舎の自然のなかでいい空気をすうことができた。

踏まれずに

掌のほどなそこだけ野の菫

オオイヌノフグリ、ナズナなど、野の花が今を盛りと咲いている。

うっかりすると踏んでしまうくらいに。
だが一カ所だけ見慣れぬ花を見つけた。近寄ってみるとどうやら菫のようだ。あまり見たことがない色、形をしているが間違いがなく菫である。しかも十センチ四方くらいしか咲いてないのが不思議である。まわりはオオイヌノフグリだらけなのに。
さいわいなことに咲いている場所が野道の肩にあるので、人に踏まれる心配はなさそうである。明日もまた見に行ってみたいと思うくらい可憐である。

必死に

抜け落ちし羽生めかし春の雨

二日続けて鳥の羽を見つけた。

色、大きさからどちらも鴉のものだ。
まとまって落ちたものじゃないから自然の抜け代りであろう。鳥の子育て中は身をやつしてる暇はないので羽は荒れがちである。丁度人間がやつれると髪が抜けて細るように、鳥たちも羽にまで栄養が十分いきわたらないのかもしれない。
田んぼではケリのお母さんがあの甲高い声でしきりに鳴いている。
鳥たちも子育てに必死の時期である。