愚直な大家

執筆も客をむかふも炬燵かな

2DKの公団アパート。

六畳の居間の半ばを占める炬燵に先生はいつも座っておられた。
そこへ同じ市に住む小生が担当となって毎月玉稿をいただきに伺うのであった。
先生は「最後の文士」と言われるような武士然とした佇まいとはうらはらに大変好奇心が旺盛な方で、若輩の私にも次から次へと質問を浴びせてこられあっという間に二時間ほどが過ぎてしまうのだった。
若い頃騙されてサハリンの缶詰工場に売り飛ばされたり、左翼思想に傾いたかと思うと弾圧であっさりと転向してしまうなど波乱に富んだ人生だが、その愚直ともいえる生き様が先生の魅力となっていて、とくに講演会などでは諧謔に富む話にだれもがその人となりに魅了されるのであった。
一作家の本を題材に毎月一作品、二年間原稿をいただいた「名文鑑賞」という欄が、その後福音館書店から「文章教室」という著作で出版されたのは私にとっても忘れられない思い出となった。
先生の名は八木義徳。平成11年11月没。享年89。
検索すると先生の年譜があったので紹介する。

北から南まで

信貴濡れて生駒照るてる片時雨

やはりこの時期時雨が多い。

さあっと頭上を時雨雲が過ぎ去ったが、はるか生駒には明るい日が差して山紅葉がいっそう鮮やかに見える。
雨のことは忘れて際だったコントラストにしばらく見入ってしまう。
盆地の北から南までどこかに時雨雲がかかっている日がこれからも多くなる。

会釈もなくて

凩やお喋り好きが通り過ぐ

真正面からくる風をものともせず話に夢中な二人が近づいてくる。

近づいてきてはそのまま通り過ぎていった。
ただそれだけのことだが、二人とも帽子が飛ばされないように手で押さえながら向かってくるのが可笑しい。
挨拶も会釈もあったもんじゃない。

ふりず降らずみ

時雨るるや携帯電話ふるはしめ

家を出たとたん雨がぱらぱらときた。

傘をとりに引き返してもいいのだが、空を見上げると通り雨のようである。そのまま歩いても問題なさそうな雲でもある。
その後何回か降ってはやみ降ってはやんだが、結局たいした雨でもなく今日のルーチンを終えることができた。
ただ、風が強いのでウィンドブレーカーにあたる雨の音が大きい。ポケットの携帯電話が鳴っても気づかないレベルだった。

覚悟

綿虫の雨にせかれて出でにけり

朝に今年初めての綿虫を見た。

おりしも予想されていた雨が降り出して、まるでその雨に促されて出現してきたような感じだ。
予想では明日は気温12度にしか達せず、しかもかなり荒れる日になるということである。
たった一匹の小さな虫だったが、冬に対する覚悟を迫っているような現れ方である。

西高東低に

日曜版に爪剪る音の冬ぬくし

風もなく穏やかな日であった。

平年より温かいという日が五日ほど続いたがそれも今日で終わり。
明日の雨のあとに大陸の寒気がもぐり込んでくるらしい。いわゆる西高東低の典型的な冬日となりそうである。
今年最後となるであろう温かい日差しを浴びながら爪を切る。

長い冬

水切をめぐらし冬耕おはりけり

ここらは二期作はしない。

米がとれれば荒起こしだけの田になることが多い。
桜井の辺りでは麦が作られるのだが。
田の外周りに深い溝を掘れば冬耕の仕上げである。田植えが遅いのであとは長い冬が待っている。