標高

植栽の桜めぐむも十年目

何万本という桜が植えられたという。

今も毎年植栽している人たちがいる。
津波到達地点に沿って延々と植樹していくというプロジェクトもあるという。到達した標高地点にいっせいに桜が咲けば、否が応でも人々の記憶に刻まれてゆくことだろう。
口伝ても大事だが、桜の高さが無言で避難先の目安を教えてくれるのである。

迷惑顔

下校児のつんつんなでる小米花

株廻り2メートルくらい。

コンパクトにしなきゃと思いつつ、返り花のように早くから咲き始めたのでそのままとなってしまった。
今が満開。廻りの草がいかにも迷惑顔だ。
あのふわふわと風に靡く花には、子供でなくても、いい大人でもさすってみたくなる。

糠床始め

精米の糠積み上がる土筆かな

コイン精米所に糠をもらいに行った。

糠床を作ろうと一念発起したのである。
精米所に先客がいて糠が落ちるのを待つ間、見るともなく辺りを見ると買い物のついでと思われる普段着の主婦が畦道をうつむきながら探している。
どうやら土筆のようだ。
袋のふくらみからはそれほど多くは採れてないようだったが。

延々と

昼鳴りて止まぬ話の主婦のどか

同世代の専業主婦とみえる。

生協の共同購買の車が帰っても延々と道路で立ち話。
今日などは2時間以上、昼になってもまだやっている。
ここにはコロナの影などこれっぽっちもないようである。

髭のような

芽楓の深紅にまさる紅のなし

日に日に目立つようになってきた。

ついこの前までは枯れ枝のようにしか見えなかった先にかすかな紅がさすようになった。それも深い紅で、枝ともども紅一色の立ち姿はこの時期だけのもの。あと一週間もすれば近づかなくてもはっきりと芽だと分かるようになるだろう。
先日蒔いた茄子、トマトも今日顔を出した。
奇しくも同じ日半月もたってもうあきらめていた期限切れの九条ネギも一本芽吹いた。ほんとうに髭のように細くて頼りない芽だが紛れもないネギの芽である。
やはり日が出て昼間の気温が15度を超える日がつづくと芽を出してくるものと見える。
5月に畑におろすまで油断できない日が続きそうである。

満腹

初鰹半身の背身でことたりる

もう四分の一を食べるのが精一杯。

背身か腹身か聞かれれば、もう脂濃い腹身は無理。あっさりめの背身がお似合いだ。
どこにも行かないし、誰に会うわけでもないのでニンニクすり下ろしはたっぷりと。
初夏の味をひとあしはやくいただく至福。満足、満足。

共存共栄

啓蟄を待たず大地に鍬を打つ

雛祭が生われば啓蟄。

虫が出てくる時分だという。この頃の雷を「虫出の雷」とも呼んで季語「初雷」の傍題ともなっている。
人の動き出すのもちょうど今頃。その今畑に鍬を入れれば冬眠の蛙を傷つけることになる。働き者が生きものを傷つけるとは何とも逆説的だが、地球環境が危機に瀕する今こそ共存共栄でいきたいものである。