研ぎ直し

剪定の鋏研いでる四温かな

昨日辺りから四温晴。

今日は晴れのうえに気温が上がって庭作業日である。
まずは切れ味が少し鈍いと感じる剪定鋏の研磨から。
研いではみたが、切れ味が変わったようには思えない。
やる気がでたらまた研ぎ直ししようと思う。

苦み走る

根回りにあたりをつけて寒肥す

寒さがゆるんだこの日国産菜種の油粕を買ってきた。

梅や姫沙羅などの庭木に寒肥を施すためである。
樹冠の先の下あたりに根の成長点があるから、そこに届くように幹を中心にして円を描くように輪状に油粕を撒くわけである。
軽く鍬で起こして撒いては均す。その繰り返しで大小何本もの木を終えると、さっそく鵙やんがやって来ては返された土の虫を探している。鵙はなかなかハンサムで、目に黒いラインが入って苦み走っている表情が何ともイケメン風である。
ジョー君も尻尾を上下させて餌を探すが、鵙はひとまわり大きくて一目で見分けがつく。
庭にはみぃーちゃんがいるので鵙が犠牲にならないよう、ごろごろ出てきたコガネムシの幼虫は遠くに避難させることも忘れてはいけない。

珍客

春近し子犬生まるる朝の夢

明日が大寒だそうである。

となると次の節季は立春。もうすぐ春である。折しも明日から寒さがゆるむという。三寒四温は始まっているのだ。
そう言えば、今朝の夢に、庭に小屋があってその覆いをとると何とお母さん犬と子犬が四匹でてきた夢を見た。
子犬はもう三四ヶ月くらいたってるようで、今まで気がつかなかったのがちょっと不思議。
外のも含めて五匹の猫を飼ってるし、どうしようかと悩んだがとにかくうちに来たのだから面倒は見なければ。そのうち貰い手が現れるかもしれないし。というところで目が覚めたような。

運がよかっただけ

疫病禍生きて一年日脚伸ぶ

去年の今頃から何となくざわめき始めて一年。

ひたすら人とも会わず家に籠もる、言ってみればすこぶる贅沢な身分であったが、おかげでさまで今のところいのちをつないでいる。
BS1やNHKスペシャルなどで、コロナ対策の医療現場の現状をみるにつけ、今重篤な病にかかったらそれはすぐに死につながりかねず、年齢を考えると今まで無事でこられたのは単に運がよかったと言っていい。
さらに一年くらい、無理しないで健康をたもち人に迷惑かけないようにしなければ。

末期の水

吸呑に命ふくませ寒の水

箱の名前を確かめたら「薬のませ器」とある。

何ともイケテない名だなと思ったので、ウェブをうろついたら「薬吞器」−>「吸呑」とヒットして、やはりいい名がついてたじゃないかと合点がいった。「すいのみ」は日本人の感性にはいちばんしっくりくる音。
動けない病人に薬の水を飲ませるには便利な例の器である。
母は秋に逝ったのであるが、食べ物も水も受け付けなくなった最期はこの吸呑で本人の気の済むまで水をふくませたものだ。
寒の水は混じりけなく体にいいと聞く。あの末期の水が寒の頃のものであったらもう少しは生きられたろうか。ふとそんな思いがよぎったのである。

末期の水

吸呑に母に吞ませる寒の水

箱の名前を確かめたら「薬のませ器」とある。

何ともイケテない名だなと思ったので、ウェブをうろついたら「薬吞器」−>「吸呑」とヒットして、やはりいい名がついてたじゃないかと合点がいった。「すいのみ」は日本人の感性にはいちばんしっくりくる音。
動けない病人に薬の水を飲ませるには便利な例の器である。
母は秋に逝ったのであるが、食べ物も水も受け付けなくなった最期はこの吸呑で本人の気の済むまで水をふくませたものだ。
寒の水は混じりけなく体にいいと聞く。あの末期の水が寒の頃のものであったらもう少しは生きられたろうか。ふとそんな思いがよぎったのである。

冬の旅

雪晴れて湯宿へのぼる雪上車

今日の兼題は雪晴。

雪のない土地の人間にとっては、過去の旅のかすかな記憶を頼りに詠むしかないのであるが、一番の思い出は蔵王麓の峨々温泉。着いた日はとんでもなく荒れた日で、名物のボンネットバスを楽しむどころではない。宿へは七曲がりの山道をゆくのであるが、猛吹雪の中をカーブごとに警笛を鳴らすのである。
明朝は見事に晴れて大好きな露天風呂へと向かったが、大半が雪に溺れて温くて入れたものじゃない。
旅にはハプニングがつきものだが、朝の水出しの珈琲のサービスにいやされるのであった。
掲句は、信州・高峯温泉へのアクセス。ゲレンデ脇を雪上車の送迎で稜線の宿にたどり着く、これまたワイルドな旅。
雪の季節の旅はそれぞれ深い趣のあることが多い。