ルーチン

寒声や舎利弗ならぬ身のせめて

ちょっとオーバーかもしれないが。

朝に心経を唱えるのが習慣となって久しいが、このとき同時に呼吸や発声の訓練にも取り組んでいる。
腹から声を出せとか、頭に抜けるような感覚で声を出せとか、人によって言うことは違うが、いずれにしても喉を無理に使わないという意味では共通している。
呼吸が整い、うまく発声できていれば吐く息が飛ばないということである。大きな声を出さなくてもホールの隅にまで声が通るというのである。
そんなことも考えながら毎朝勤行に坐っているのだが、これが日によってバラツキが多いというのが悩ましいところである。
何年も続けていると、最後に10回「南無釈迦牟尼仏」を唱え終わると猫の小町(姉御猫)がすうっと消えてゆくようになった。このあと嫌いな掃除機が唸るのを知っているからである。
勤行の後は掃除というのが朝のルーチンとなっているからである。

産みたて

寒卵落として揺るる椀の黄味

物価の優等生、卵。

一年中豊富に出回っている。
しかし、子供の頃の記憶では、自宅で飼ってもいなかったのでほとんど手に入らなかったようである。それだけ貴重なものだったのだが、とくに寒の卵は栄養に富んでいるとかで珍重されたようである。
たまに親戚に遊びに行って、産みたての卵を手にしたらほんのり温かかった。そのまま食卓へ、まだなま温かいものを玉子飯にいただいたことが懐かしい。

古流泳法

旧藩の泳法継いで寒稽古

藤堂藩の泳法に観海流というものがあった。

いわゆる実戦向きの泳法で、武器を手に長く水中にいることができる立ち泳ぎを得意とし、今でもその伝統を守り伝えようというグループがいる。
その寒中水泳の模様を昨日のニュースで見たのだが、巻いた鉢巻きに観海流と染め抜いているのをなつかしく見た。
我が母校では、その伝統を受け継いでか、明治の頃は全員が伊勢湾を往復する年中行事があったそうで、それが校歌にも謳われている。あの山口誓子の作詞、作曲は信時潔になる校歌である。
コロナ禍ということもあってか、今年は参加者が少ないようであったが、60代の御大も参加されて無事に終わったのは何よりである。

すぐ解けた

敗れ傘雪の重さにあらねども

朝からの雪で2センチほど積もった。

積もったが午後にはもう雪が止んで夕方にはあらかた消えている。
内科の予約時間がもっとも降った時間帯であったようで、無事に帰ることができた。
ただ、いつの間にか傘の骨が折れていたが、これは決して雪のせいではないようだ。

黴なし

一分のチンにておはる鏡割

朝から小豆を煮ている気配。

そう言えば、今日は鏡割りの日。
鏡割りと言っても、小槌もなければ電子レンジの出番。
今はパックされた黴もはえないが、子供の頃は黴をかき落とすことから始まったことが懐かしい。

重い雲

打ち直ししたき冬雲うつうつと

関東ではあまり見ない雲の季節である。

高さは比較的低い。厚さは相当あるが重くはない。日が当たって明るい部分はあるが中心は黒い。しれらが座布団の乱れた綿のようにいくつも浮いては流れてゆく。
これらの雲は日本海側の空を思い起こさせて気が重くなる。
晴れても関東のようにはからっとはならないのである。

凍える地上

荒星のどれもひとつの物語

凍てつくような星空である。

シリウス、オリオンの三連星、昴、、、、、。
どれも星座の構成員として名前を持っている。
8時頃に空をみてでんと広い空間を占めているのがオリオンで、これが中天に輝き未明には西に傾いて冬の夜空の主役である。
だが、この二三日余りにも寒いというか、震え上がるほど、痺れるくらい凍りつくような空気に長い時間外にたっていられない。地上が凍えれば星も凍えて、凍星となり荒星となる。
NHKスペシャルの地球温暖化2030年特集を見終わって、水蒸気が多くなるとはたして10年後これほど澄んだ夜空を見ることがあろうかという思いが頭をもたげる。
2030だの2050だの欧米のスローガンだけ唱えるだけで、そんな思い切った予算が来年度に投じているようには見えない。ますます、劣等国として世界において行かれるのではないかという憂いが増すばかりである。