転じて雪に

風花の序破急の急短くも

ふと外を見やると風花が降りてくる。

きらきらとダイヤモンドのような固い光りを放ちながらゆっくり落ちてくるのである。珍しいなあと見ていると、やがていつもの風花のように風にもてあそばれるように右左に揺れ空中に漂う間が伸びてきた。
最後はもう吹き上げられるように乱舞の状態になったかと思うと、すっと消えてしまうのだった。
あとは、もとのように冬の日差しがあるのみ。
その後1時間ほどもしないうちに空が暗くなり、今度は雪である。1時間ほど降ったろうか。車の屋根をみると1センチほど積もっているようである。越してきて初めてみる雪景色である。

甘味、旨味

人日の臼歯につぶす雑穀米

人日、じんじつ。

すなわち、1月7日のこと。俳句をやらないひとには工数の単位の「にんび」と読むことだろう。
古代中国の占いの書に、6日までは鶏や羊など動物を占い日が続くが、7日に初めて人間を占うとあるらしい。この日に天気よければ吉、雨なら凶だとか。
昼過ぎに雨が雪に変わったので、今年は凶のなかでも大凶かもしれない。時はあたかも非常事態宣言の日。昨年の春よりゆるい規制なので感染は横ばいが続いて、簡単には収まらないだろうというのが専門家の見立てだ。
ガースー政治には何一つ希望のもてない状況下では、ひたすら身を縮めているしかあるまい。
今夜は七草粥ならぬ二十穀米が夕食に出て、久しぶりに奥歯を鍛えてやった。すると、甘味がじわじわ広がって、これからもときどきは雑穀米をお願いするのであった。

笑うが吉

贔屓する噺家追うて初笑

新年ともなると人気噺家はあちこちの席亭をあわただしく巡る。

一年で一番の稼ぎどきである。
であれば、噺家を追っかけるファンがいたとしても不思議ではなかろう。
行く先々で笑いをとる噺家と、つかの間の笑いでこの世の憂さを払いたい庶民。
笑いにはなんの罪もないし、寿命すら延びるという研究結果がある。
今年こそもっと笑っていたいものである。

鴨なりに

隠沼の影を濃くして浮寝かな

鴨にも静かな正月である。

いつもなら冬休み、正月休みには家族連れが押し寄せる公園も餌をばらまく人もおらず、めいめい固まっては昼寝中。
さらに、一日中日が当たらぬ沼にも、よくもあんなに寒々としたところがいいもんだと感心してしまうくらい、不思議にも毎年鴨が渡ってきては春まで過ごすグループがいる。障害物があるほうが外敵から身を守るには適しているかもしれない。
今年は鴨の種類が少ないのが気がかりだが、他にいいところがあるやもしれず、彼らなりになんとかやっているのだろう。

足取り

早梅の一枝ならぬ日和かな

早くも梅がほころんでいる。

臘梅も満開で、昨年中に開花したものと思われる。
河原で発見したオオイヌノフグリやらホトケノザの花だけではない、春へ向けての確かな足取りがあるようである。
今週木曜日頃からまた寒波がくるらしいが、昔のような強烈なものでもないような気がするが、さて。

振り出し

すごろくの一回休みとふ目かな

小さい子供もいないし、何十年と遠ざかっている。

双六の休みの面白さはさいころの目とその数だけ進んだ先の指示。進んだり、戻ったり、休んだり、最悪は振り出しにもどされたり。
思えば昨年は何でもかでも「休」がキーワード。
今年も無論それが続くわけだが、人々が以前のような生活に戻るのはいったいいつのことだろう。
戻ったとしても全く同じというようなことはなさそうだが。

冬草

大和棟あげて頭屋の初雀

比較的穏やかな二日。

雀の群れが立派な瓦を積んだ大和棟で遊んでいる。
すぐとなりに竹林があるものだから、危険を察したら逃げ込む場所には困らない。
この辺りでは庄屋的存在の家は見るからにお屋敷の人を寄せつけない佇まいだが、雀にとっては格好の遊び場なんだろう。
大和川周辺を歩くのは久しぶりで、河原にははやくもオオイヌノフグリやらホトケノザの花がちらほらと見受けられる。寒はこれからというのに、冬草がわらわら緑を濃くしていた。