舐め舐め

枝豆やこの金剛の塩の粒

枝豆と塩。

これは切り離せない組み合わせ。
塩があるから麦酒も冷酒もさらにすすむ。
居酒屋で出されるものにはおそらく寸前にふりかけられると思われる塩粒が浮いていて、これがアピタイザともなって酒が進むのだ。
こうなると相当塩分が高くなるので、あらかじめ塩茹でされている家ではまずこんな食べ方はしない。
指まみれになった指を拭き拭き、舐め舐め、みるみる殻がうずたかく積もってゆく。
居酒屋とはまた違う枝豆の食い方。
秋の季語とはいうが、いまどきは早くから出回るので期間は長い。

時勢

玄関に霊棚すうる時勢かな

マスク越しの読経がよく通る声である。

盆の供養に来られるということで窓を全開してお待ちしていたのだが、こういう時だから玄関に過去帳を置いて私どもは仏壇の前になおるようにとのお話しで、お姿は見えないが般若心経、大悲心陀羅尼経はいつものようにはっきりと聞こえる。
御坊も大変な苦難の時代である。

吸血鬼

傘を持つ右手に藪蚊の来たりけり

利き手に蚊が来やがった。

左手もふさがっているのでどうにも、追い払うにも厄介だ。
ここんところ涼しい日が続いているので、蚊があまり出てこないのはありがたいが、来週あたり梅雨が明けたらどっと増えそうで、そんなことも気を重くさせる。

丸見え

束の間の西空うすく梅雨夕焼

西の雲がわずかに赤みを帯びた。

山の東側の裾にいるので見事な夕焼けに接する機会はまずないが、これでも夕焼けと言っていいレベルかもしれない。
ただ、今日の夕焼けは明日の晴れを約束しないようだ。まだまだ梅雨前線が居座っていて、今日南に下がっていたのがまた北へ上がってくるからだと。
ただ、わずかに希望が持てるのは梅雨明けが来週に見られるだろうという予想。
このうっとおしい梅雨が明けるのはうれしいが、明けたら明けたで今度は炎熱地獄が待っている。
コロナに加えて水害、そして灼熱の夏。GO-TOほにゃらどころではない。
困っている人は放ったらかし、GO TO利権、票田には熱心で、腐りきった魂胆が丸見えという政権は初めてである。

旨し国伯耆

熟るるまで満を持したるメロン切る

鳥取に旨いものあり。

砂の恵みがもたらした砂丘辣韮はつとに知られているが、同じく砂州が発達した弓ヶ浜半島の葱も特産と聞く。
地域的には東から鳥取、倉吉、米子と隔てられて風土文化もそれぞれ特徴があるらしいが、今いただいているのは真ん中の倉吉地区のメロンである。桃など果樹の名産地でもあるということを知った。
このブログにもときおりコメントをくれるH君が、毎年律儀に贈ってくれる玉はこれ以上はないと言うくらい大玉である。
老夫婦二人だけだから、いっぺんに食べきれるものではなく、一個を何日かかけてはいただくのだが、これが日を置けば置くほど甘くなる。
鳥取とくれば大山、砂丘を思い浮かべる向きが多かろうが、実はこうした果樹や野菜に特化した強みがあり、カレイなど海の幸ももちろん特産である。
海無し県に住むものとしてはうらやましくてならないのである。

低調

百姓の鍬もて集ふ溝浚へ

何年か前に桜井市の磐余の辺りで、昔ながらの溝攫えを見たことがある。

農家集落で、めいめい家の得物をもちあい集まってくるのだが、町勤めの若い人のなかには刈り払い機をもったり、スコップやら鎌やらそれぞれ手にしたものにバラエティがある。
下水道も未整備地区のようで、昔ながらの深い側溝は蓋もされずにむき出しで、「どぶ」の匂いがきつい。
今の時代、こうした光景は珍しいものだが、やはり下水道が未整備のところは残っておるようである。
はんして、今朝は団地のクリーンデーと称す月一回の街の掃除日で、子供にはお菓子なども配られる平和なイベントでもある。
自治会活動も今季はご多聞にもれず低調で、コロナが機になる向きは無理に出ずともいいということで、宅配便の人としか顔を合わせない作者は無論欠席だ。

中年ライダー

雷鳴に紛れバイクの試走かな
はたたがみ踵返して盆地去る

ボロロンと聞こえたかと思うと、ゴロゴロと頭上で響く。

バイクと雷さまの競演である。
お向かいはいわゆる中年ライダーで、休日となると整備に余念がない。
子供さんが大きくなるまでは、しばらく我慢の様子であるが、ときおり整備を終えたバイクにまたがりそこらを一周して帰ってくる。
見ていて涙ぐましいほどである。