小ぶり

茗荷の子膝をすすめて掘りはじむ

放っておけば庭中に広がると聞いている。

そこで、プランターで毎年少しの茗荷をいただくのだが、さすがに何年かたつとプランターがはち切れそうに株が育って、かえって発育が悪くなったようだ。それで今日やっと顔を出し始めたので探ってみると、やはりどれも小さい。
小さいからとしばらくおけばすぐにも花が咲いてしまいそうで、片っ端から折り摘むことにした。
さっそく昼の素麺の薬味に消えて、どうやら今年はそれっきりで終わりそうである。

貧相な橋

五月雨や赤灯まはる沈下橋

大和川は一級河川。

だから、小さな沈下橋だって国土省の管轄なのだ。
上流は斑鳩インター、下流は国道25号線の間、4キロほどには橋がなく、地元の人くらいしか利用しない、車一台がやっと通れる幅しかない。ちょっと増水したと言っては役人がやってきて通行禁止の遮断機をおろし、引いたらまた開きに来る。
おそらく、どこかにモニターでもあって水位を監視しているのであろうが、ご苦労なことである。
「こころ旅」であの高所恐怖症の正平だって平気で渡った橋だから、ほんとに小さな貧相な橋だが、支流が入り組んだ大合流地点付近では暮らしに欠かせないのである。

青田前線下降中

平群谷見下ろす山の青田かな

平群谷の一番高い辺りの田が植田から青田のシーズンを迎えた。

落差は100メートルくらいはあろうか。
上の田から田植が始まり段々と舌に降りてゆくわけだが、さしずめ田植前線というべきか。
だから、今は青田前線とも言ってよく、あと一週間もすれば谷の底辺りも水面が隠れるほどの丈に伸びて青々とした田になるはずだ。

危険察知

単線のレール歪める出水かな

夕刊トップに痛ましいカラー写真が掲載された。

JR久大線というから久留米から大分を結ぶ線であろう。
西は筑後川、東は大分川に沿って湯布院を結ぶ山間の路線である。
写真は九重町筑後川支流にかかる鉄橋が流されて陸上部分に歪んだまま残されたレールの大写しである。
鉄橋が簡単に流されて鉄のレールが雨のようにひん曲げられるのだから、その前には人間一人の命はひとたまりもない。
治水事業が追いつかず、夏、秋、毎年のように繰り返されると、衰えていく国力に国の負担は増すばかりである。
政が追いつかないのであれば、民の力で防災に努める他はないのであるが、それとて限られていて危険を察知する目を養いさっさと避難するしかないというのが実情であろう。

居座る

荒梅雨や畔をあふれて崩れざる

自然にはほどほどという願いは届かない。

すさまじい濁流の映像をみると身がすくみそうになるが、現地の方々はどれほど心細いことだろうか。
朝には南九州のニュースに釘付けだったが、午後になると西九州が長時間豪雨に見舞われている。
いわゆる梅雨後半の出水が各所に起きているわけであるが、なかには湖と見紛うような田園地帯が映されて、声が出ないほどである。
冠水には至らずとも田の排水が間に合わず、畔をつぎつぎ越えるのなども雨量のすさまじさが分かる。時間当たり50ミリを超えるような豪雨なんだろう。
前線はしばらく居座るというから、どこの地域が次のターゲットになるともしれない。温暖化異変とはいったいどこまでいきつくのか。

匂い

紫蘇摘んできし玄関の香の満てる

一本あれば十分まかなえる。

薬味としてこの時期紫蘇は貴重な戦力である。
ただ、種が飛んであちこちに芽がでるので適当に間引きするのだが、それでも間に合わないほど増えてしまう。
自然のままにしておくと混み合って虫がついたり、病気になったりするので今日は思い切りトリミング。
大量の葉っぱが部屋に運ばれると、香りが家中にぱっと広がって、外から帰ってきた途端玄関で香ばしい紫蘇の香りに包まれる。
韮は毎週のように収穫できるし、今年はやたら匂いの強いものが家に入ってくる。

がりがりと

どんぶりの背越分けあふ漁師宿

昨夜はいろいろあって投句忘れしました。

昨日の句会に出したものです。
「背越」。いきな名です。
鯵や鮎など、骨付きを薄く削いで膾などでいただく。
熊野出身の両親のもとで毎日のように鯵や秋刀魚の素朴なものばかり食べていました。
鰭をとって、腸をぬいて、鯵などはぜいごもとって皮剥いで、なかなか面倒な食べ物ですが、食べてみて骨の舌触り、歯触りを楽しむ料理です。ときには、ぜいごが一片残っていて舌を刺すようなことがあったり。
酢でいくらか柔らかになったとはいえ、やはり骨です、これも歯の健康があったればこそ、がりがりと安心して食べられます。