救急車影甲斐甲斐し冴返る
家の前を日に何度か救急車が通る。
救急車の登っていく先にはおおきなホームがあって、今またそこへ向かっているのではないだろうかと思うことしばしばである。
昨日今日と寒が戻ってくると高齢者には応えることだろう。
患者を救急病院へ送る車両のなかで、ケアしている黒い影が車の磨り硝子越しに見えた。
救急患者、救急隊員それぞれの戦いが車両の中で続いているのだ。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
救急車影甲斐甲斐し冴返る
家の前を日に何度か救急車が通る。
救急車の登っていく先にはおおきなホームがあって、今またそこへ向かっているのではないだろうかと思うことしばしばである。
昨日今日と寒が戻ってくると高齢者には応えることだろう。
患者を救急病院へ送る車両のなかで、ケアしている黒い影が車の磨り硝子越しに見えた。
救急患者、救急隊員それぞれの戦いが車両の中で続いているのだ。
鹿煎餅売場閑散凍返る
煎餅売りスタンドに鹿が群れている。
売り子も手持ちぶさた風でやることもないままスタンドの商品を並べ替えたり、目に見えて客が減っているのが分かる。
とくに目抜き通りを離れたスタンドは全く客が来ない。
ホテルのキャンセルも相当数に昇ると聞いているが、知事には風評被害を少しでも解消するという姿勢が見られず、「観光産業に付き物の景気変動に過ぎない」と言い放った。
観光産業に従事する者としてはやりきれない思いだろうが、公のイベント頼みという姿勢が目立つ県内観光産業としては声を大にして非難もできないでいるようだ。
昨日立春だったというのに、今日からこの冬最強の寒波が到来とあって、奈良公園界隈はまさに凍返り状態である。
飛火野に春の水ゆく細川
奈良公園の梅が盛りを迎えている。
気象台の標準木の梅もここ片岡梅林にあって、すでに満開を通り越していた。今日は立春だがすっかり暦を追い越しているわけだ。おりしも明日からは寒さが戻るという話だが、今日は能く晴れて風もなく文句なしの梅日和。
飛火野に足を伸ばせば、広い枯れ野を貫く小川もきらきらと春の日を浴び、童謡にあるごとくさらさら音をたてて流れている。
顔を上げれば末黒野となった若草山がそこにある。
大きな景色をしばし堪能して句座に着く。
節分の靄にそばだつ大鳥居
節分の若草山の靄がくれ
今日は節分。
盆地は朝から遠霞がかって、あるいは黄砂かと思うほど濃いものがある。節分はおろか立春すらすぎた気がする。
靄のせいで金剛山や葛城山、二上山など周囲の山は立体感を失って単なる平板なシルエットしか見えてくれない。
山焼きが終わって下半分が末黒野となっている若草山は、午前中こそ薄ぼんやりとみえたのが夕方には靄の奥に隠れてしまった。
通りかかったすぐそばの三輪山の大鳥居は、靄に包まれているとはいえいつもの黒々とした威厳をかろうじて保っているようだった。
三寒の夜半の半月そぞろ醉
今日あたりで三寒か。
ということは明日あたりから四温となるか。
夕方見事な半月が中天に昇った。
最近は多くは飲めなくなって、缶麦酒ひとつあけたらそのあとはノンアルコール缶でお茶を濁したりして。
薬喰のほろ酔いの足もとを月が照らしてくれる。
おずおずと前歯で検し薬喰
寒餅搗きを兼ねた新年会。
見事な鹿肉の差し入れがあって、これが癖もなく意外にうまかったのだ。
肉は赤身がかって、存命なりしは山野を走り回っていた若い肉体をしのばせる。
猪肉や鹿肉などいわゆるジビエ料理が人気だが、今ひとつ好きになれないまま敬遠していた自分がいる。
ただ今日は、せっかく持参してきてくれた好意をおもんぱかって一口前歯で様子を見させたら、これが意外にいけるのであとは奥歯の出番とばかり、相当な量をいただいた。
ところで、奈良公園は柵がないので、保護すべき天然記念物の神鹿と野生の鹿をどう区別するのやら分からないが、最近作物被害がひどいと言うこともあって周辺の野山で駆除されているものがある。
県自体がジビエ料理を推進していることもあって、猪や鹿などちっとも珍しくなくなりつつあるが、そうなると希少性が薄れたジビエ人気というものがやがて褪せていきはしないか。そんなことも頭をかすめるこのごろである。
天神に南高梅の冬咲ける
大阪天満宮の紅梅のなかには早くもピークを過ぎようとしているものがあった。
枝垂れ梅もすでに開き始めており、春を待たずに梅の季節。冬の梅といえば寒い中にもふるえながら咲かせているものを言うのだが、何しろこの暖かさである。
天神さんの裏門の脇に植栽されている南高梅の献梅も、繁昌亭の賑わいに刺激されるようにして咲き始めている。
寄席の太鼓が「早よ咲け、早よ咲け」とでも囃しているかのように。