質感ある落葉

紅葉散るどこかゆかしき山桜

花が散るのも優雅だが、紅葉した葉が散るのも風情がある。

風がほとんどない日だったせいもあるが、ちらほらとゆったり落葉するとき花が散るときと同じようなゆっくりとした時間が流れる。
染井吉野は堤とか街路樹など苛酷な環境に植えられることが多いので葉が痛みやすいが、雑木山で競争を耐え抜いて育った山桜の健康な葉が見事に染まって周りの落ち葉とは一線を画すような美しさ。
今年は櫟の黄葉が見事だと書いたが、櫟が落ちるときはもう半ば枯れているのに対し、山桜の落ち葉はまだしっとりとした質感を帯びているのだ。

ほっこり

小春日の石のベンチを譲り合ふ

今日はさすがに冬日の、風の冷たい一日だった。

とても小春の陽気とは言えない。
石というのは熱しやすく冷めやすいので、こんな日に石のベンチに腰掛けるには勇気がいるが、歩いていて体が温まっていれば短時間なら我慢できそうだ。
ついこの間の散歩のときには何人かでスペースを譲り合ってさらにほっこりしたものだが。

立ちつくす

まのあたり紅葉且散る浄土かな

紅葉の素晴らしさに見とれていると、たいした風もないのにぱらぱらと音がして崩れるように散ってゆく。

声にならない感嘆のなかで欅の黄葉が散るのである。
葉ずれしながら落ちる音だけがその後も耳に残って、また次の落葉を待ちたいと思った。

足りる

大槻の一樹で足りる紅葉狩

欅紅葉の色が一層濃くなってきた。

野山がすっかり黄葉、紅葉してくると、たった一日ですっかり様相を変えてしまうほど移ろいは速く、毎日同じコースを歩いていてもまったく飽きることがないほどだ。
そのなかでも欅というのは大樹に育つ木であり、これが単独で丘などに聳えていると、姿形の申し分ない姿といい遠目にも堂々として見えて心奪われるものがある。紅葉を楽しみに外出して、たまたまそのとき、その木にとって最高のコンディションに巡り会うことができると、もうその一本見ただけで今日の目的を果たしてしまったような深い満足感のなかにひたることができる。
暦では秋だが、紅葉シーズンはこれからとあって各地から紅葉情報が届くが、見慣れた欅大樹の一本で十分心満たされることもある。

日脚

風止んで足より暮るる枯野かな

日脚が早くなってきた。

そのうえもう昏れる頃ともなると急に冷え込んでくる。
風があった日にはそりゃ震えるくらい寒くもなるが、今日はおかげで風はゼロ。ゆるやかに昏れるいい夕となった。
冬の夕は足もとから始まる。

吸収

竹林を抜いて冬日の閑かなる

竹林からもれてくる日差しがまぶしい。

いつもなら鵯の声が大きく増幅されるほど賑やかなのだが、今日は深閑としている。
もれてくる冬日さえ竹林に音を吸収されたかのように閑かな気がするのである。

鷹日和

身を折りてあとは野となれ枯尾花

腰痛コルセットがようやく外れた。

久しぶりの万歩ウオーキングである。
朝こそ冷えたが昼間の天気転は申し分なく、ウオーキング日和。
今年の楓の紅葉は今ひとつだが、欅や櫟、樫の黄葉がすばらしい。
とくに今日は櫟、樫類の黄葉がみごとで、見上げれば青天とのコントラストも素晴らしく、何度も何度も足を止めるのであった。
欅はというとすでにピークは過ぎたようで、ちょっとした風でパラパラと降ってくるものも。
大鷹が悠揚と空を舞い、翻るときの瞬間に陽光が胸や腹にさして、それはそれは印象的な眺めである。
双眼鏡に小さな点となるまで追いかけて、その先をみると盆地をはるかに横切って斑鳩の方向へ向かっているようだった。