イタリアン切子に満たす洋紫陽花
年一回だけの出番。
大きなガラスの花瓶に庭の紫陽花を盛るのだ。
ヤマアジサイは三年目だけど、なかなか期待したようには花をつけてくれないが、どこの花舗にもあふれている洋紫陽花はたいていの土にもたくましく育つものだ。
大きな葉っぱ、大きな花の鞠を透明なガラスの器に盛ると、梅雨の命、紫陽花の命が茎もろともあざやかに眼前に迫ってくる。
花が弱れば、また庭の花を切ってくればいい。
問題は、猫どもがすぐにいたずらするので、置く場所をどこにするかだ。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
イタリアン切子に満たす洋紫陽花
年一回だけの出番。
大きなガラスの花瓶に庭の紫陽花を盛るのだ。
ヤマアジサイは三年目だけど、なかなか期待したようには花をつけてくれないが、どこの花舗にもあふれている洋紫陽花はたいていの土にもたくましく育つものだ。
大きな葉っぱ、大きな花の鞠を透明なガラスの器に盛ると、梅雨の命、紫陽花の命が茎もろともあざやかに眼前に迫ってくる。
花が弱れば、また庭の花を切ってくればいい。
問題は、猫どもがすぐにいたずらするので、置く場所をどこにするかだ。
朝なさな見る山模糊と梅雨に入る
朝起きたら遠くが白く烟っている。
毎朝起きてすぐ声をかけている二上山も全く見えない。
ああ、やっぱり梅雨入りしたんだと思った。
スリッパの裏の材料が悪いのか、歩くとペタペタくっつくような不快さを覚える。
この分なら、跣足のほうがましなくらいだ。
こんな日がしばらく続くのだと自分に言い聞かせた。
巌積む渓を転がる河鹿笛
遡上すればするほど大岩が現れる。
滝道を曲がれば曲がるほど道が細くなり、河鹿の鳴き声が近くなる。
だいたいの居場所は見当がつくものの、鳴き声が岩にこだまするので在処はつかめない。
滝見茶屋で一休みしようと店をのぞけば、冷たい清水に冷やしたラムネがうまそうだ。
だが、所望するとラムネは冷蔵庫で冷やしたものにかぎると、奥から持ってこられたのには驚いた。こちらは、滝清水で冷やしたラムネがほしいのに、押しつけられるようにして持たされたラムネを手に途方に暮れる。
太き枝支柱に誘ひ茄子の花
いつもそうなんだが、前半までは元気がいい。
さて、これからとなるころに勢いが失速してしまうのだ。
肥料の問題なのかどうか、原因はよく分からない。
ただ、茄子は水が大事と聞いているので、プランターには水やりは朝夕様子を見ながら与えているが、すでに7月の気温だというので、毎朝毎夕たっぷりが必要なのかも知れない。
半日を棒に振ったる昼寝覚
ちょっとのつもりが、何時間も寝ているときがある。
二日続きの好天で、今日も外ではやることが山ほどある。
午前中の涼しいうちにと動き出したが、日射しがほんとに強い。麦わら帽、水もたっぷり飲みながら、汗もだくだく。
昼からは、久しぶりに窓を全開して一休み。のはずが、いつの間にか眠っていたようだ。
ここ最近はちょっと動いただけですぐに体がいうことをきかなくなる。
睡眠も8時間以上ないと体が動かない。
年寄りは早起きだというのは俗説に過ぎない。
学生の街の予備校五月晴
五月晴と言っても気分が晴れない場合がある。
雨だから嵐だからと言ってサボれない境遇の身にとって、逆にこの梅雨晴れ間が恨めしくさえ思えるときがあるものだ。
勤め人とて、このうえない好天気のときに満員電車に1時間以上揺られると思えば気がふさぐときもある。
素直に五月晴れを喜べないときがあるのも人生の綾だが、できれば素直に感謝できるにこしたことはない。
夏燕鯉の頭上をすれすれに
燕が水面の虫を追う。
それに驚いたように鯉がはねる。
燕は子育て真っ最中にちがいない。せわしげにタッチアンドゴーを繰り返している。
口の中には子ツバメの餌となる虫をいっぱいためこんでいるのだろう。