泥濘るみて茅花流しの牛舎かな
牛舎吹く茅花流しの密度かな
タグの耳ぶるっと茅花流しかな
青葉冷え、青葉寒というのだろうか。
昨日今日と寒い。
黒南風とまではいかなくて、風も湿り気を帯びている。
こういうのを茅花流しというのだろう。
大和牛。ブランドとしては二流かも知れないが、味はいけている。もう少し本気を出して、清潔で快適な環境で育ててやれば全国ブランドになりうると思うのだが。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
泥濘るみて茅花流しの牛舎かな
牛舎吹く茅花流しの密度かな
タグの耳ぶるっと茅花流しかな
青葉冷え、青葉寒というのだろうか。
昨日今日と寒い。
黒南風とまではいかなくて、風も湿り気を帯びている。
こういうのを茅花流しというのだろう。
大和牛。ブランドとしては二流かも知れないが、味はいけている。もう少し本気を出して、清潔で快適な環境で育ててやれば全国ブランドになりうると思うのだが。
松蝉の風のまにまに陵の濠
聞こえるかどうか。
それくらい幽かな音だ。
音と言っても夏の蝉のようにミンミン鳴くわけでもなし、林全体から耳鳴りのように体全体を包み込む空気と言っていいだろうか。
当然、発生源など確かめようもなく、ただ林のどこかにいると感じるだけである。それも何匹いるかもさっぱり分からない。
湯気とともに母の忌修す豆御飯
skyblueさんに贈ります。
この時期お母さんの味でもあったのではないでしょうか。
夕べの残りを弁当に詰めてもらったこともあったかもしれません。
炊きたての豆飯を仏前に供える。湯気もまたてんこ盛りで。
瓜苗の去年の隣の畝にかな
まだひとつ植え場所の決まってない苗がある。
毎年挑戦しては途中で駄目になる西瓜苗である。
何年か前にはそれこそ8キロくらいのが採れたのが忘れられず、同じ種類を植え続けているがうまくいかない。
原因がよく分からないのであるが、性懲りもなく今年もよさそうな苗を買ってきた。
ポットのまましばらく様子見しているが、順調に伸びているようである。
この雨が去ったら、いよいよ植え付けに掛かろうと思う。
瓜の仲間やトマト、茄子は連作を嫌うと言われるので、場所はローテーションする必要がある。
今度はアスパラガスの隣りにしようかと。
人見知り覚え伏し目の子供の日
広告欄童話居並ぶ子供の日
お隣の次男坊が言葉を覚えると同時に、人見知りがぬけてきたようだ。
こちらから声を掛けても両親の後ろに隠れていただけの子が、片言で話しかけてくれるようになった。
今朝の書籍広告欄は子供の絵本、童話で埋まっている。
コラムも子供にちなむ話題。
子供のいないわが家ではすっかり忘れているこの日の行事、しきたり、慣わしであるが、子供の元気な声は大好きである。もっともっと大事にされていい。
父さんの糸が縺れる五月鯉
ててなしの親子泳げる五月鯉
父親が風に飛ばされてしまった。
竜田川土手に何基も鯉幟がひるがえっているうちの一基だ。取材に來ていたカメラマンがそれを目聡く見つけて、回収しては飛ばされないように竿の根元に巻き付けるように戻している。渋滞の車からそれを眺めていたのだが、なんとなく心温まる光景であった。
川に鯉幟の連隊を並べるのは各地で見られるようになったが、竿一本一本に親子の幟をあげるのはあまりないような気がする。およそ10数本はあったろうか、どれも一様に新緑の生駒山地を借景にして西風に撓っているのは絵になる構図ではあった。
萼の底水輪の洗ふ白睡蓮
ひとつさきがけて咲いている。
薄濁りの水に半ば埋もれて、いまにも溺れそうながら開いているのが、真っ白な睡蓮だ。
汚れた泥水に清淨な花が咲くことで知られる蓮は有名だが、睡蓮だって負けてはいない。
浮き葉が日を返していると。そこにも咲いているような錯覚を覚えるが、咲いているのはひとつだけ。
貴重な初睡蓮にしばらく見とれた。