呑気にみえて

そぼ降りて羽撃ちしてみす浮寝鳥
浮寝鳥周遊船の波こなし
渡し場の跡と伝えて浮寝鳥
大淀の湾処たのみて浮寝鳥

「浮寝鳥」。水鳥の中でも蹼をもった部類のイメージがあるがどうなんだろうか。

鴨の動きなど見ていると、じっとしているように見えて実は水面下では足を動かしていることが多い。
浮寝とは顔を羽の中に突っ込んで、まるまったまま寝ているように、ただ浮かんでいることをいうが、動物のことゆえほんとうに寝ているわけではあるまい。天敵から身を守るためにも、不寝番役を仰せつかったのもいるはずで、果たしてどれがそうだろうかと目をこらしても分からない。
みな眠っているようでいて、雨など降っていればときに立ち上がるように羽撃ちするすがたを目撃することがある。

湖、川などを想定しての習作。まだまだ推敲が必要だろう。

白赤黄と

赤黄と狭庭万両実千両

寂しくなった庭に赤と金色の火が点ったようだ。

南天の根締めに千両、万両を植えているが、どれも赤だと面白くないので、黄千両にしてみた。
ようやく、実をつけるようになった今年、南天、万両の赤に負けず、堂々とした金の粒だ。
どれも長く実をつけたままでいてくれるので、縁起ものの実の代表が勢揃いした感じ。
さらに、その先を見るとびっしりと柊が白い花でなかなか派手やかである。

交換インク予備ある?

数へ日のシアンのインク黄が灯り

数え日というにはまだ早いかもしれない。

先生なら通信簿つけて学期末の雑事に終われる頃か、サラリーマンなら世渡り上の忘年会も一段落、懸案の案件もどうあがいてもどうにもならず持ち越しと腹をくくる頃か。あるいは、賀状が元日配達されるかどうかの瀬戸際にある頃から、無意識にせよ感じる年の瀬のせわしなさをいうのかもしれない。
その点時間がたっぷりある毎日が日曜派となれば、数へ日とは無縁。主婦なら別だろうけど。

それにしても、プリンターのシアンのインクがどんどん減ってゆくのが気にかかる。交換インクの予備は合ったっけ?

戸惑っている

言葉なく鹿煎餅を売るマスク

奈良公園の風の吹きっさらしで鹿煎餅を売っている。

煎餅を買うのはたいがいが外国人のせいだからかどうか、売り子はおおむね無口である。
へたすると、客の顔もろくに見てないのかもしれない。
そう言えば、概して奈良の人は静かである。ものを売るにも大きな声を張り上げるのをみたことがない。隣県に賑やかな都市があって、それとは好対照をなしている。何をアピールするということもなく、どちらかというとなにかにつけて「待ち」の姿勢なのである。
ただ、奈良らしいところはちゃんとあって、どこかの古都のようなよそ者への警戒心もあらわでなく、来るものは拒まない点であろうか。

急な観光客増も、喜ぶというよりは戸惑っている、というのがいまの奈良なのかもしれない。

虚子を恨め

火事跡の消火器こともなかりけり

自分で出しておいてなんだが、この「火事」という題は難しい。

今月の同窓生句会の兼題である。
「火事」がなんで冬の季題かどうか分からないのは、これを季題と定めた虚子すら時代的にもうはっきりとしなくなってきたことを認めている。

「『火事』というものは季題ではあるが、他の季題に較べると季感が薄い、ということは言えますね。一体火事という季題は、我らがきめたものですし、火事はいつでもあるが、殊に冬に多いから、というので冬の季題にしたのですが、季感は従来のものよりも歴史的に薄いとはいえる。だからこれは季感のない句であるという風に解釈する人があるかも知れぬ。(中略)そういう人は季題趣味を嫌がっている人ではないですか。だが俳句は季題の文学である。……」(岩波文庫『俳句への道』)

とにかくそう決めたんだから、文句言わずに詠めというわけだ。
そういう理由だから、同窓生諸兄姉よ、幹事を憎まず虚子を憎んでください。
どうかして、冬感が出ればいいんですけどね。それを意識するとさらに難しくなる。

夜目にも白く

お悔やみを述ぶ息白し通夜の客
連れ立ちて通夜の後尾に息白き
通夜席に知る辺見つけて息白く

通夜という席で言葉を交わすのはせいぜい受付の記帳のときくらいだ。

あとはご焼香までひたすら沈默の時間となる。
そういうとき通夜の列の中に顔見知りを見つけたりすると、ほっとするところがある。
手短に挨拶を交わし、故人の話から、ときには自分たちの近況を確かめ合ったり。
席を辞したら、駅前辺りで旧交を温め合ったり。
屋台ではおでんの湯気に包まれて、家路につく頃には息はいっそう長く引いている。

老醜など

おのが老悟りきったる背蒲団

「せなぶとん」。と言っても今は知る人も少ないだろう。

我々世代だってちゃんちゃんこなら知ってるが、「背蒲団」なんて着たことないし、まして「負真綿(おいまわた)」などは見たこともない。
上着と下着の間に入れた「負真綿」がのちに進化して、袖無のように羽織るようになったのは、現代版で言えばさしずめユニクロなどで売られている極薄の「ダウンベスト」だろうか。
背蒲団は綿入りの薄い蒲団を背中に背負えるように紐をつけたもので、背中の曲がり掛けた老人にはぴったりくるものだ。

ユニクロファッションを老いも若きも何の衒いもなく、気取らずに着られるようになったいいご時世とも言えるが、若い人だってパジャマ兼用風トレーナーで平気で街に出てくる時代だ。ファッションから恥じらいというものが失われた現代では、背蒲団で外出したところで、だれに遠慮があろうか。いや、意外に若い人には最新ファッションに見えるかもしれないぞ。

生徒らに知られたくなし負真綿 森田峠

に触発されて。