私が主役

帯解の子に碧い目の注がるる

正遷宮を終えて諸行事が続く春日社は観光客でごったがやしている。

その間隙を縫うようにして着飾った児の手を引いて、爺婆父母の一族揃って砂利の参道を登ってくる。七五三のお詣りだ。
おとなでさえ、あの長い参道を歩くのは大変なのに、着慣れない着物に慣れないこっぽりではさぞ大変だろう。ようやく階段をあがり拝殿前まできたが、子のご機嫌はななめである。
宥めすかされて、回廊前や砂ずりの藤棚前でようやく記念写真となると、通りかかる参拝客、なかでも外人観光客にとっては大変珍しいのだろう、小さな子の着物姿に歓声をあげている。なかには、おすまししている横顔をスマホで撮ったり、一座の人気者である。
いろいろ声を掛けられてご機嫌が直ったところで拝殿へ。
この日の小さな主役にとっては、ことの進行がおそらく何が何やらよく分からないままの、大変な一日であったに違いない。

音たてて

音たてて色佳し香好し走蕎麦

蕎麦の花を見に行った桜井・笠の新蕎麦まではあと少し。

あと一週間ほど待たなくてはならないが、この初物を待つというのも大きな楽しみである。
早いところでは、新蕎麦はすでに10月には出回るので、笠地区の蕎麦は遅い部類に入る。
やはり、味のいいのを収穫するには、冷涼な空気が必要となるのであろうか、奈良でも東山中と呼ばれる地帯は盆地よりさらに気温は低いのだが、信州などに比べて生育環境はまだまだなのかもしれない。

やや青みがかって、香りがいい笠の新蕎麦は、音を立てて一気に飲み込みたいものである。

音たてて、と言えば今日の早朝、博多では大きな音を立てて道路が広く陥没したという。安心して道路も歩けない時代だ。

奈良公園の一日

御物展巡り茶庭に秋惜む

正倉院展の最終日。

これ以上はない日和に恵まれて、国立博物館を出て、昨夜遷宮されたばかりの春日大社に詣でた。

飛火野に伏せる牡鹿の長鳴ける

奈良公園は鹿の恋の季節。執拗に雌を追いかけている雄もいれば、沼田場の泥でまだぬらぬら光ったままの状態でうろつく牡鹿もいる。堂々とした雄はほとんどが角が切り落とされて、男前が台無しだが、長く尾を引くように鳴く声は低音の魅力たっぷり。あれにはくらっとする牝鹿もいるだろう。

春日さんへの参道に並ぶすべての灯籠には奉祝の貼り紙がされ、新春日を祝う行事が目白押しだ。

新しき春日丹に降る秋日かな

秋ばかりの句を並べたが、今日は立冬。
天気が目まぐるしく秋冬を行き来しているが、しばらくはない交ぜての作句が続くと思われる。

北上デルタの思い出

末枯れてデルタ広大無辺なる

北上の河口は広大だ。

川筋が何本も走るので、横断するにはいくつもの葦が茂るデルタを越えることとなり、いったん踏み入ると慣れてないと抜け出すのは大変である。しかも道路は必ずしも一本道ではなく、堤防を上り下りしながらの大きな迂回道を行くようなもので、行けども行けども左右に葦の原を見ることになる。
一体今時分がどこにいるのかさえ時々分からなり不安に襲われるが、今は幸いにナビという便利なものがあるので指示に従っていれば安心だ。それに、近くには高速道路も伸びているので、今では苦労してまでデルタ地帯の中に突っ込む必要もなくなっているだろう。

二十年以上も前に走ったのはもう夕暮れどきで恐怖心半分で走り抜けた懐かしい場所だが、ここら一帯は五年前の震災津波で大きな被害を受けた地区なので、今は随分景色も変わっているかもしれない。

淡雪か

綿虫や日向日陰のあるかぎり
日の影をよぎり綿虫流れゆく
山に日の落ちて綿虫生まれけり

そろそろ綿虫の飛ぶ季節。

いつもの散歩道、日が差したと思ったらぽっと浮かび、光を失えばまたその姿も見失う。
手に取ろうとすれば、ふっと取り逃がし、いつの間にかどこか手の届かぬ方へ。

綿虫は日が傾いた夕方に見ることが多い。日が沈めばいったいどこへ行くんだろう。

愛される神社

神降(かみたち)の山懐の笹子かな

拝殿のすぐ裏に笹子がやってきた。

神の留守とはいえ、拝殿につながる社務所には脱いだ靴がたくさん並んでいる。どうやら企業の安全祈願のために集まった人たちらしい。制服を着た人たちが、拝殿のなかで神妙に畏まって神主を待っているところに、ひと鳴きふた鳴きほどしてどこかへ行ってしまった。神主の祝詞の前の露払いみたいなものだろうか。地域全体が神さびている葛城では、生きているものすべてが何やら神の使いのような不思議な気持ちにさせられる。
一言さんは、願いは一言だけ聞いてくれるということで知られるが、境内には子授けにご利益があり、乳がよく出るという神木の乳銀杏もあってか、遠くからの若い夫婦や地元のカップルが目立つ。山の中腹の小さな神社だが、地元の人たちから大切に見守られている様子が見てとれた。

昨日今日と冬の季語が続く。暦でも立冬は間もなくだ。

風を避けて

おんな坂選りてすみれの返り花

小春ともなれば返り花が見られる頃。

意外な花が、意外な場所で狂い咲くのを発見すると思わず足を停めることになる。
お参りの急階段を避けて遠回りの道を選んだら、返り花のご褒美にあずかったという構図である。
それも、女坂に相応しく小さくて、下手すれば見落としかねない菫を取り合わせてみた。風を遮るような石垣の間にでも顔を見せているのが想像できるだろうか。