駅前に献血車ゐる厄日かな
どういうわけか、若い人が見えなかった。
中年ばかりが並ぶ献血車におや?となったが、とりあえずは関係者が率先して献血しているのかもしれない。
この歳では献血を申し出ても即座に遠慮くださいと言われるに決まってるが、それでも健康なうちはできるなら献血したい。
若い頃は自分でもびっくりするくらい短時間で終了したもので、看護師さんからも「よく出ますね」とほめられたものだが、近頃は血液検査のために抜くにも時間がかかるようになったと実感している。多かった血の気も今ではすっかり牙を抜かれてしまったということか。
入社後数年は職場に来る献血車に何度も足を運んだものの、転勤になったりするうちに遠ざかってしまい、献血手帳もどこかへ失せてしまった。
あれこれ思い起こすことも多い献血であるが、できるなら輸血のお世話にならないで済むにこしたことはない。
「厄日」は「二百十日」の傍題。
農業被害関連季語なので、献血は直接関係ないようだけど。どちらかと言えば震災忌だろうが、それも付きすぎで。
災害と言えば、輸血用血液も大事だが、最近では薬不足になったり、薬の供給が思うに任せないことが話題に上る。薬依存の身としてはちょっぴり気になる話ではある。