舌仕舞いつつ

下闇に暗む眼の閻魔堂

天武天皇ゆかりの矢田寺へ。

山門から200余の急な石段を登ってようやく諸堂にたどり着く。
着くやいなや、ホトトギスが迎えてくれるは、開花したばかりの沙羅、泰山木の花、そして一万本の紫陽花。
紫陽花の咲き満つ谷筋に入ると、折から降り出した雨に紫陽花たちも生気を取り戻したかのようだ。
後ろに控える丘陵をめぐれば西国八十八カ所を模した遍路道もある。行程1時間半だというので、八十八番目、すなわち結願の薬師如来さんだけお参りして御利益を願うという厚かましさ。

この六月だけ開帳されるという閻魔大王さんの前では、脇侍もまじえたあの世の裁判を詳しく解説していただく、いわば絵解サービスもあって、ひたすら腰を低くして聞くばかり。閻王の黒い眼の底知れなさに思わず身震いするのであった。

対抗馬にするか

十薬の処方伝へず身罷りし

どくだみと聞くとおどろおどろしいが、いくつもの薬効効果があるという。

そんなことから別名「十薬」と呼ばれるが、これを干したものをお茶にしたものが「どくだみ茶」である。
花の咲く頃、一番元気がいい頃に刈り取って干したものを炒ればできあがりらしいが、実際には試したことがない。
いつだったか、一鉢を庭におろしたら、みるみるはびこって庭中がどくだみだらけになったことがある。これもちゃんと刈り取っておけばいいものを放置していた結果だ。
ただ、いいこともあって、十薬の生命力がたくましいのだろうが雑草どもが生えてこなくなったというおまけがついて、家人などはあの匂いが嫌だと言って近づかなかったが、僕自身はあの薬臭い匂いがなんとも好きだった。
当地へ来ると、やたら外来性の雑草が多くて庭の管理も大変だが、かといってあのどくだみを敵役に使うには何となくためらいもあって決心がつかない。

暦に揺るぎなし

梅雨入の朝の大峯見えてゐし

近畿が意外に早く梅雨入りした。

午前中に九州、中四国が梅雨入りしたニュースがあったので近畿はまだ少し先と油断してたら、夕方のニュースでは一気に東海まで梅雨入りしたらしい。
朝方は、吉野・大峯連山のシルエットが確認できるくらい空が明るかったので虚を突かれた感じである。
とは言え、特別雨の少ない盆地には昼間は例によってまったく雨の気配はない。この分では明日に持ち越しかと思うたら、ちゃんと夜には帳尻を合わせてきたようである。

例年に比べ三日早く、昨年より一日遅いということらしい。暖冬化だの、温暖化だのいろいろあるが、暦にはいささかの揺るぎもない。

螢川

蛍川寄り来て靴の泥まみれ

梅雨に入ると蛍の季節。

雨で農作業が出来ない日は、麦わらで蛍籠を編む地方が今もあるという。
この籠は底抜けなので、蛍を楽しんだらすぐ逃がすことができる仕組みだ。
麦わらでできているので、微妙に不揃いな編み目から洩れる蛍火はランプシェードのようにほんわりと灯るにちがいない。

護岸コンクリートの川には蛍は生息できない。

弱者にやさしく

花菖蒲老々介護の車椅子
車椅子老が押し行く菖蒲園
木橋に譲り譲られ花菖蒲

花菖蒲の真っ盛りである。

県立民博公園の花菖蒲

相変わらず「あやめ」も「かきつばた」も「花菖蒲」も区別できないが、菖蒲園とあるから「花菖蒲」なんだろうくらいに思っている。
たしか、「かきつばた」は紋の色が白だけというシンプルなものだから見れば分かるかもしれない。

民族博物館のある県立公園の菖蒲池は規模は小さいながら、しっかりとした造りのゆったりとした木橋がかけられていて車椅子がすれ違うことも可能なくらい広い。
高低差も少ないので、老々介護の車椅子でも楽しめるようになっていた。こういう細やかな配慮は健常者にはわかりにくいところだが、よく考えられていると一人納得するのであった。

大ぶりな花

二日目の花持ち崩し泰山木

泰山木の花は二日しかもたない。

泰山木の二日目(午後)

そのうえ、奇妙なことに一日目の花は午後には花弁を閉じてしまうという習性をもっている。だから、初日の新鮮な花、二日目のろうたけた花を同時に見るためには午前中に出かけなければならない。
この日は、あいにく午後からだったので、初日花は閉じ、二日花はもう雄しべなど落ちてしまって、花弁も重さをもてあましているかのようにしどけなくなっていた。

香りも強く、花は大型。
大ぶりなだけに、繊細さにはちょっと欠けるかもしれない。

直撃を免れる

失敬の烏逃げ去る木下闇

森の中を歩いていたら、目の前の木から何かが落ちた。

と、思う間もなくいきなり烏が飛び去ったのには驚かされた。
どうやら、飛び立つ寸前に糞をお見舞いしてくれたようだったが、直撃を免れたのは幸いだった。
それにしても、樹木のなかに烏が潜んでいようとは夢にも思わないことであった。