胃に来る来ない

新茶とていつに変はらぬ急須もて
到来の新茶や久の長電話

新茶がうまい季節。

と言って、あのカフェインには弱い人間もいて敬遠する向きも。現に家人は夜寝られなくなるからと緑茶はたしなまない。番茶でもなく、色々混ぜた何々茶というものばっかり飲むのである。紅茶やコーヒーは平気で飲めるのに、なんとも解せないものである。
そんな連れ合いにつき合わされて、家では緑茶は滅多に飲まなくなった。
たまに、到来ものの新茶があるときは別だが、それもたいがいは独りで汲むことになる。

ただ、当地に来ると、大和茶の産地だけあって新茶のこの季節ニュース番組などでよく紹介される。二葉一芯摘みという積み方の名前すら覚えてしまった。周りは宇治茶に近江茶、そして伊勢茶。よく考えると茶処ばかりなのであった。

仰々しい

行行子右へ左へ葦の風

近くで鳴いている。

池のある部分が葦原となっていて、鯉、亀、小魚、水鳥たちの安息の場所だが、今日はそこにヨシキリを発見した。
木橋から鼻と目ほどの距離に、風に大きく揺られながら葦に掴まっている。
騒々しい声からすると、「行行子」より「仰々子」のほうがよほど似つかわしい。雌でも呼ぶ声なのだろうか。

お供え

お供への豆飯下げる夕餉かな

豆飯は大好物。

今年何回作ってもらったろう。
ところで、仏さんのお供えを下げたものは捨てるのではなく、鳥たちなどに施すものだという。そこで豆飯の時だけは、温かいうちにすぐに下げさせていただくこともある。
勿体ない精神をもっと発揮させなきゃね。

この時期に顔を見せる原風景

行きずりの橋に見下ろす植田かな

ここ数日、東山中を行き来している。

若葉も幾分落ち着いてきて、青葉に移り変わろうとしている山里はいくら走っても走り飽きることはない。
ことに美しいのが、田の風景である。田植えが終わって間もない田は水を満々とたたえ、その田に若葉青葉、そして青空が映り込む風景はこよなく美しいし、いかにも日本的な原風景に巡り会えるような気がする。
それに比べて、国ン中は雨期に入るまでは乾ききっている。だから、このさわやかな空気に満ちている僅かな期間を惜しむように東山中、吉野へ分け入って心の清涼剤をいただくのだ。

南限自生地

一叢にして南限地君影草
鈴蘭の森は北向く杉木立

奈良・宇陀両市にまたがる森に南限の鈴蘭自生地があり、天然記念物に指定されている。

宇陀市向淵の自生鈴蘭

厳しい環境にさらされながら生き延びてきただけあって、人が踏み入れることも稀な森の中にあった。
両市それぞれ一カ所あるが、両方とも辛うじて車で行けてもすれ違いはとても無理な一本道である。終点の駐車場らしき広場に降り立つと、ツ~ンと杉の匂いが鼻をくすぐる。
自生地の手前には杉林があって間伐したばかりの木が何本も転がっているのだ。杉木立を抜けると、柵で保護された鈴蘭の群生が見られ、ようやく咲き始めたばかりという風情だ。
店で売られているような栽培種のものに比べて、花はずいぶん小さいのでいっそう楚々とした雰囲気に包まれている。
ちょっと心配なのは、柵で囲まれているさして広くない斜面の、その半分ほどは雑草に浸食されているようで、今咲いているものたちだっていつまでも無事であるとは限らないことだ。
間伐されて、すっきりとした杉木立からは風も抜けるし、光もわずかながら届く。
消えてしまわないよう、関係者の努力に期待したい。

「君影草」は「鈴蘭」の別名。五文字で締めたい場合に便利である。

虫との格闘

売れ残り買うてすくすく茄子の苗

これも兼題句。

実際には、茄子は買ってない。収量からして一本くらいではとても足りないからである。かわりに、トマト、胡瓜、満願寺などを植えたのだが。
薬剤を使わないのでいくらか虫にやられているが、今のところ順調に育っているようだ。
あと一週間ほどしたら胡瓜一号が収穫できるかも知れない。

虫と言えば、蝶々もいいが、あのさなぎがレモンの木などについて毎日割り箸を持って格闘だ。

姿勢

松蝉の楽の瀬音にまさりたる
春蝉の何処と知られず奏しけり

吉野へ出かけた目的は別にある。

兼題「松蝉」というのをこの耳、目で確かめるためだ。
先週のNHK俳句・夏井いつきの回で、兼題の麦畑をゲストですら実際に自分の目で確かめに行ったというのに、司会者自身がサボっていたのには驚いた。実は、わが結社では兼題に対する姿勢をきつく戒められている。これを真面目に守っていたら、とてつもなくカネと時間のかかる趣味なのは間違いないのだが。

さて、季題「松蝉」の傍題に「春蝉」があるが、季は夏である。
初夏に鳴く蝉であるが、平地では聞いたことがない。あるいは、鳴いていても耳には響かなかったということかもしれない。例句を調べるとどうやら、高い山、深山が浮かんでくる。
そこで、吉野の宮滝、国栖まで出かけることにしたのだが、僅か一時間ほどの滞在での発見はかなわず、ユーチューブで確かめた、し〜んと耳鳴りのようにまといつく様子をヒントに想像しながら詠んでみたのが掲句である。