困りもの

ナイターのハマには雨も来ないらし

雨に降られてずぶ濡れになった。

この前線が抜ければ秋の空気と聞いていたので、今日も雨とは何ともじれったいことか。
今日の夜辺りは関東に雨と聞いていたのに、テレビではナイター中継をやっている。いくら優秀なスーパーコンピューターでもなかなか予想は当たらないようである。
この夏ほとんど雨に恵まれなかった分を取り戻そうとするかのようによく降る。帳尻を会わせてくれるのもいいが、来るべき秋が来ないのも困りものである。

補)投稿して暫くしたら球場に雨が降り始めたようです。

感覚的

水澄むやワイヤと板の橋揺れて

「水澄む」という季語は実に感覚的である。

秋は殊の外水が澄むから生まれたとされるが、本当だろうか。秋は空気が澄むことが多いからうまれた連想に過ぎないのではないか。この題が出されるたび、いつもこのことを感じる。
水が澄んでいるところは普通年がら年中澄んでいるものであり、そうでなければ雪解けや雨で流れ込む川や池、湖などは晴れ続きで濁ってないという意味しかもたないはずである。現に我が町を流れる大和川など、上流からプラスチックゴミなどが流れ込み、とても澄んでいるという気分には遠いものである。
生まれたばかりの水が滴る源流、伏流水が長い雌伏をへて地上に顔を出した湧水、水が生まれてまだ人の手も人工的なものにも毒されてない流れなど、これらはまがいもなく澄んだ水であり、しかも一年を通して変わらない澄みようである。
花鳥諷詠という虚子を中心とする季題の本意中心に詠む方法では、こういう感覚的な季題を詠むのは得意ではない。無理にこだわると、先に述べたようないつも澄んでいて美しい景色しか描けない限定した使い方に陥りやすくなる。そんな句はとてもつまらないものに映り、ちっとも上手いとは思えない。
だから、勇気を出して感覚的に詠めばいいと思うのである。

何度も何度も

間引菜をつつむがことく掌に

大根や人参など間引菜の採れるシーズン。

大根などはそれが楽しみで、筋撒きの密度も高く種を蒔いている。種を一袋買えば二、三百本ほどもできる計算になるので、どうせ余るならと言うこともあってばらまくようにして蒔くのである。最終的には二、三十センチ間隔にまで間引きをするわけでいやでも香ばしい間引菜が摘める。
間引いたばかりの野菜はとても柔らかく、乱雑に扱えば簡単に折れてしまったり、高い体温で握れば新鮮度も失せてしまう。パリパリの間引菜を持ち帰るためには大事にだいじに扱うことが大事。
とりあえず今日は人参の間引き。柔らかい葉っぱはかき揚げや天麩羅が香りも高くてほんとうに旨い。大根もそうだが、人参も大きくなるまでに何回も間引き菜が楽しめるのが秋の畑である。

そよぐ

銀テープたえず煌めく彼岸花

銀テープ。

稔り始めた証しであろう。
日に日にテープをめぐらした田が目立つようになった。おりしも畔には彼岸花も咲き出して、これからしばらくは豊かな色の季節を迎えようとしている。
銀テープは裏が紅でこれが風にいざなわれて煌めきの度合いを高めるようになっている。季語で言えば「鳥威」の一種でもあるが、今日はどうしても顔を出し始めた彼岸花が主役のように思えて添え役にまわってもらった。
この辺りは住宅地に近いせいか、音のする鳥威はないようである。
わずかな光があれば、昼も夜も銀テープはそよいでいるのである。

暑い秋

県庁に鹿の宿れる白雨かな

ニュースで見た映像。

いつもながら交通の多い登大路を堂々と渡る奈良の鹿だが、観光客とともに県庁前の屋根付きバス停におとなしく夕立をやり過ごす姿に思わず笑ってしまった。鹿も豪雨は嫌いのようである。
今年はやたらに夏が長く、木陰や小さな流れに固まって涼を求めたり、人と違って自然物、人工物それぞれをうまく工夫して乗りきらなければならず鹿にとっても受難の年。
暑さ寒さも彼岸までとは言うが、ほんとうに彼岸で終わってくれるのだろうか。

二期作

穭穂の揃うて伊賀の日本晴

伊賀盆地も34度。

大和盆地も変わりなく、日中は外へ出る気がしない。
ただ、野暮用もあって昼の伊賀上野へ。
ICを降りたら、目の前にはすでに20センチほど伸びた穭田が広がっていてびっくりさせられる。
前回来たときから一か月もたってないのに、稲刈りが終わりまったく別の景色が広がっている。
穭というのは晩秋の季語とされてきたが、刈り取りが八月に済んでしまうなど気候に備えて品種改良も進んできたのだろう。
このまま温暖化が薦めば本州でも二期作が可能になってしまうのではないかと、逆に危惧するのであるが。

不満

冷房につぶれし声の読経かな

冷房を使わなかった夜は二回ほど。

九月も半ばを過ぎて三十五度もあるような日がつづく。
寝室のある二階は昼間暖められるので夜に入っても三十度をくだらない。
もともとエアコンの空気は苦手で、目が覚めても喉の調子がでない質ときている。
冷房の季節の間は、どんだけがんばっても朝の勤行の調子が出なくなる。くぐもるような小声でしか唱えられないのがふまんである。