種子を採る

石女と陰に言われて花たばこ
子をなせぬ嫁返されて花たばこ

いまや煙草栽培農家もずいぶん減ったことだろう。

煙草の喫煙の習慣が世界中に広まったのは意外に新しく、大昔からインディオたちによって喫煙されていたものが15世紀末に新世界に伝わって以降のことである。
最近では喫煙する当の本人はもとより、副流煙が周りの者にも害をもたらすというという理由もあって消費が落ちて生産者の数も随分少なくなったことだろう。

観賞用に改良されたものも出回っているそうだが、歳時記などを読むと「煙草の花」とはそういうものではない。作例としては、

見えて来し開拓村や花たばこ 室生礪川

など山村の景を詠んだものが多いが、何もかも管理化される現代、小規模な栽培農家が存続するのは困難で今ではもう見られなくなった景色かもしれない。

煙草の花とは本来種子を取るために咲かせるものだから、通常は芽のうちに摘み取られてしまう。子をなせなくて肩身の狭い日々を過ごしている人には辛い花かもしれない。

都会の夜空

一等星ばかりの見えて星今宵

「星今宵」は「星祭」の傍題である。

夏の大三角形を見るための空の条件が整うまで1週間かかったというキヨノリ君の話からヒントをもらって詠んでみたもの。
夏の大三角形は「アルタイル(牽牛)」「ベガ(織姫)」「デネブ」の三つの星が形成する。前者二つが一等星、デネブが1.3等星だそうである。
一等星なら都会でも辛うじて見える星だから、探せばうまく見つかるかもしれない。

台所の秋

厨房に夕暮せまる秋暑し

昼間はずいぶんしのぎやすくなった。

窓さえ開けておけば入ってくる風も熱風とはちょっと違う、どこか秋の空気の風情がある。このまま順調に季節が進んでくれればありがたいことだ。
このように涼しい昼間はエアコンも全く使わなくてすむが、さすがに西日の影響だろうか夕餉の支度に台所に立つ家人は辛そうなので、当分は夕方だけはエアコンの世話になることになりそうだ。

台所に秋がくるのはいつだろうか。

天気に左右される

よくすすむ父の晩酌稲の花

秋の季語「稲の花」である。

今では、台風被害を避けるためにも早稲の開発が進んでいるので、実際には7月末頃までの暑い盛りに花を咲かせることが多い。

今年も何とか無事に稲の花が咲いて、ひとまずの安堵からか父は幾らか機嫌がいいのである。後は、収穫を迎えるまでお天道様のご機嫌次第。

頭を抑えられる

或る年の家族の記憶天の川

天の川を間近に感じた日って何時のことだったろうか。

星が降るとは言うけれど、吸い込まれそうな星空というのもある。
ある夏休みに、信州の高原へ家族旅行したときの夜もそんな星空だった。
空を埋めるようなおびただしい数の、大小すべての星がまたたくようで、星座の形すらイメージできないほど星が密集している。
その中でも、天の川は覆いかぶさるように頭上にまとわりついて、まるで抑えつけられるような感覚の記憶が鮮明だ。

その後、何十年かたって同級生と信州の温泉でみた天の川は微かな雲がかかっているように見えて、まったく別物という感じがした。

放縦に

プランターの抓みほどなる大豆引く

プランターに一夏をかけて作った枝豆が一晩で消費されてしまった。

というのも、番組で見た方法で栽培してみたが体はちっとも大きくならず、根も期待していたようには張らなくて、実が極端に少なかったからだ。

プランターか土かはあまり問題ではなく、豆を育てるには、やっぱり色々いじくらないで直撒きでそのまま放置するのがいいようだ。

信心する心

釣船の今日は貸切施餓鬼船

施餓鬼会を実際に目にしたことはない。

ないが兼題として求められるとひねり出すしかない。
それにしても掲句の甘さはどうだ。
宗教行事に迫る迫力がまるで出てないし、頭だけで作ったことが見え見えなのは情けない。