一枚の田にも遅速の稲の花
よく見ると同じ田でも成長が微妙に違うようだ。
半分ほどは穂も出て花がつき始めたものがあるが、残り半分はようやく穂が立ち始めたばかりのものもあって、一体何が原因でこうなるのだろうかと疑問に思った。日当たりには特別差がないように見えるが、水の流れとか栄養の偏りとかあるんだろうか。
このような状態を見極めて実りの秋まで心を配っていかねばならぬとは、あらためて農家の苦労を思う。
めざせ5000句。1年365句として15年。。。
一枚の田にも遅速の稲の花
よく見ると同じ田でも成長が微妙に違うようだ。
半分ほどは穂も出て花がつき始めたものがあるが、残り半分はようやく穂が立ち始めたばかりのものもあって、一体何が原因でこうなるのだろうかと疑問に思った。日当たりには特別差がないように見えるが、水の流れとか栄養の偏りとかあるんだろうか。
このような状態を見極めて実りの秋まで心を配っていかねばならぬとは、あらためて農家の苦労を思う。
実の飛ぶや蓮の蕚の雨溜り
今日は空模様が怪しい。
傘を持って出たが、日中は意外に雨が上がり吟行は濡れずには済んだ。いっぽうで、雨後の湿度は高く蒸し暑い一日となった。
吟行地は西の京。なかでも、どちらかといえば薬師寺よりも句材の多そうな唐招提寺を選んだ。実際に、夏から秋への変わり目の季節ということもあって、句材がいくらでも転がっているというまことに贅沢な日であった。
聞いた話では二百十日にもあたるこの日は「厄日」であり、関東大震災の忌日「震災忌」でもある。「稲の花」、「走り穂」の佳句も多く非常に勉強になった。
唐招提寺は和上伝来と伝わる蓮でも知られるが、境内のあちこちの池や鉢に花を終えた蓮が多い。花のあとの実には大きな種がいくつか入っていて、これが弾け飛ぶとぱっくり穴があく。掲句は、ちょうど夜来の雨があり、それを溜めたままになっているのを発見したのを詠んだもの。
秋霖や西よ東よ鬩ぎ合ひ
珍しいのではないか。
八月のうちに秋雨前線が居座るというのがである。
秋雨と言えば、9月末から10月初旬にかけ秋の晴天が訪れる前の長雨というイメージだが、残暑が意外に早く途切れるのは珍しい。ここ10年ほどは暑い秋だったので、今年もある程度は覚悟していたので、この涼しさは天恵だと思って喜ぼうではないか。
前線は北の空気と南の空気の鬩ぎ合い。かたや、「都」を二つにするとか、国会前の大集合とか、世の西東もどこか騒がしい。秋の静謐が訪れることはあるのだろうか。
過疎村の上手下手の秋桜
今はどこを走ってもコスモスが咲いている。
コスモスの寺として観光客を迎える寺もあるようだ。
かつて信州・佐久だったか、町を活性化しようと植えたコスモスで有名になった街道があった。
それに刺激されてか、今では全国どこでもコスモスが見られて珍しい光景ではなくなったが、それでも田や畑の間に群生している風景には慰められる。
児童の影など全く見えないような集落で、思いもよらずコスモスの群生が迎えてくれたりすると村の心意気を垣間見るような気がしてエールを送りたくなる。
増水の引いて大漁下り簗
キヨノリ君とのやりとりで那珂川の簗を思い出した。
那珂川は全国屈指の鮎の川で、那須を源流として常陸へ下る全長150km。その中流域が鮎街道ともよばれ、車を走らせると窓外にいくつか簗場を見ることができる。
見るからに涼しそうな光景で、時間が許せば途中下車してみたくなるのは当然かもしれない。
V字形にせき止めた口に簀を設けていて多い日には魚がどんどん打ち上げられるので、子供に限らず大人だって活きのいい鮎を手づかみする誘惑には勝てない。
このように普段だったらまことにのどかな風景なのだが、いったん川が荒れたら大変だ。下手したら大増水でもあれば一気に簗が流されてしまうこともある。客は気楽なもので、手づかみの遊びはあきらめて、生け簀に飼われた魚を食べるだけであるが。
10月末になると鮎もすっかり落ちて簗の役割は終わり、来年の初夏、あらためて簗を組むことになる。
最近は人工孵化したりして鮎の遡上を増やそうという試みが全国に広がっていると聞く。
日本の夏の川に鮎は欠かせない。関係者の地道な努力に感謝もしたいし期待もしたい。
獣害の二百十日に限られず
獣害は二百十日よりも苛し。
今や全国至るところ害獣が出没している。
かつては、収穫間近に襲来する台風に怯える時代が長く続いていたが、近年は品種改良などもあってそれほど恐れることでもなくなった。かわって猛威を振るっているのが周年の獣害で、こちらの被害の方がむしろ深刻かもしれない。
自家消費分だけをほそぼそ作っている農家にとっては、田や畑の作物ことごとく狙われては何ともやるせない。いたちごっこで済ますわけにはいかないからだ。
御嶽の今は静かに蕎麦の花
御嶽の煙そびらに蕎麦の花
信州の蕎麦畑を渡る風はもう完全な秋。
蕎麦畑の向こうに横たわる御嶽山は、ほんの一年前の噴火など忘れたように青い空を背景にしている。
もう随分昔、高山から御嶽のすそをめぐって木曽谷、伊那谷を横断したときの御嶽山のふところの広さには感動した。当時、国道の一部はまだ舗装もされてなかったがそれが逆に秘境の趣を強くしていたように思う。
今では高原の豊富な観光資源をてこにして人気スポットになっているようだが、やはり素朴な味は変わらず残されているようで、今時分はトウモロコシが最盛期のようである。
高原の冬は早いのでこれから一ヶ月くらいが見どころだろうが、再訪したい気分が強く誘われる。