法面で

山裾を拓きしなぞへ黄水仙

住宅地を上へ上へと登ってみた。

隣町は斜面一面が碁盤のように区切られて、低いところから順に一条、二条という風に通りの名前がつけられ、高いところでは十一条まである。さらに、後から開発されたのだろうか、その上に上一条、上二条という通りもあって、この辺りから見下ろす奈良盆地の景色はなかなかのもの。自宅は八幡さんの森のかげになっているので見えないが、はるか下の方である。
こういう傾斜地というの法面がいたるところに顔を出していて、その法面を利用した植樹や植栽も目を楽しませてくれる。
今日は、誰も採らなかったのだろうか蕗の薹のすでに薹が立ったのも発見したり、あのおちょぼ口のような見事な喇叭を見せてくれる黄水仙が日だまりに群れているのも楽しむことができた。

芽吹く音

山笑ふ耳をすませばふつふつふつ

折口の「死者の書」のオノマトペが強烈だ。

「した した した。」
二上に埋葬された大津の墓の中を滴る音。
「した した した」と微かに響くコンケーブを抱いた二上山を今日間近に見てきたが、山全体が「ばあーっ」と膨張するように迫ってきた。いっせいに芽吹きが始まった山は、まるで泡のようにふつふつと沸いてくるようで、もはや地下の滴りの音は耳には届かない。

野の花

遙かにも来て歩を緩め花なずな

野は春の花がいっぱい顔を出している。

ヒメオドリコソウ、ホトケノザを筆頭に犬フグリ、タンポポも、そしてペンペン草も。群生しているところには私だけではなく、多くの人が足をとめて眺め入っている。
何でもない花ばっかりだけど、春がうれしくてしばらくそうしていたい気持ちにかられた。

可愛い狼藉者

梅の花鳥の狼藉なすままに

風もないのに枝垂れ梅の花びらがパラパラと散っては根元に赤い花びらがつもってゆく。

どうやら満開の枝隠れに小さな鳥が来ていて、蜜を吸うのに余念がないようである。目をこらすとどうやらメジロの番らしい。午前中に一回、午後にも一回来てそれぞれかなりの時間花から花へとわたっている。
狼藉者とは言っても可愛い狼藉者である。

ボトルメール

貝寄風の瓶の手紙を持ちきたる
貝寄風の届ける瓶の便りかな
貝寄風の足許さらふ砂丘かな
一夜さの貝寄風なせる砂丘かな

「貝寄風」は関東の人には馴染みが薄いかもしれない。

という私すら歳時記で初めて知る季題である。
ホトトギス歳時記によれば「大阪四天王寺の聖霊会(陰暦2月22日)の舞台に立てる筒花は、難波の浦辺に吹き寄せた貝殻で作るというところから、この前後に吹く西風を貝寄(かいよせ)という。」。冬が終わり、春に吹く強い西風と解釈してよいだろう。
舞台の筒花という写真がないかウェブでいろいろ検索したがどうもヒットしない。だから、今でも貝殻で作っているのかどうか、これは実際の聖霊会(今は4月22日)で確かめるしかなさそうである。住吉さん、四天王寺とも今までお参りしたことがないので、今年あたり行ってみようかと思う。

行くもの残るもの

引鴨の水脈を重ねる番かな
水脈とけて番の鴨の引く構え

平城京跡は野鳥観察の聖地である。

一歩足を入れた途端雲雀の声が聞こえるが、敷地が広すぎて一体どこで鳴いているのかさっぱり検討はつかない。さらに中へ入ってゆくと、大砲のような望遠鏡を抱えた人たちが大きな木を指してシャッターチャンスをうかがっている。どうやら葉隠れにアリスイがいるらしいが老眼ではよく見ない。
一行と離れて大極殿へ。拝観料など取らないのがいい。白虎の方向に生駒、青竜の方向には三笠山がよく見えるが朱雀の方向にある吉野の山は霞でよく見えない。

玄武の方角、佐紀の辺りは古墳が散在しているが、同時に大小の池が多い。そろそろ鴨の帰る頃だから確認に行ってみると、はたして帰る準備と思われる番の鴨たちが水脈を引いているのが散見された。あと一ヶ月もすると大方の水鳥たちは姿を消す。野鳥観察会も帰る鳥の観察に忙しいシーズンである。

習作

穴出でし蛇を悪童いたぶりぬ
穴を出し蛇の行手を占めてをり

難しい季題だと思う。

単なる蛇ではなく冬眠から覚めた蛇の様子を詠めというのだが、コンクリートで固められた都会生活に馴染んだほとんどの人はそんな蛇に遭遇したことはないだろう。
結局、想像をたくましくして「そんなこともあるだろう」と思われる情景の句を生み出すしかない。

習作二句、決して成功しているとは思えぬが。