砂舞へば神の喜ぶ春祭
春ごとや砂浴びせかつ浴びせられ
春事の砂かけあうて童心に
春ごとや歳顧みぬ砂遊び
松の葉を斎庭に並べおんだ祭
今日2月11日は廣瀬神社の砂かけ祭り。
昨年も取り上げた春の予祝行事。御田植祭(おんだ祭)である。考えてみれば昨年はずいぶん多く詠めたものだ。今年は昨年に比べ低調に終わった。
おまけに神事の最後に撒かれる福苗も福餅も一つとして授からなかったが、句友の優しい人から苗のお裾分けをいただくことができたのは幸いだった。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
砂舞へば神の喜ぶ春祭
春ごとや砂浴びせかつ浴びせられ
春事の砂かけあうて童心に
春ごとや歳顧みぬ砂遊び
松の葉を斎庭に並べおんだ祭
今日2月11日は廣瀬神社の砂かけ祭り。
昨年も取り上げた春の予祝行事。御田植祭(おんだ祭)である。考えてみれば昨年はずいぶん多く詠めたものだ。今年は昨年に比べ低調に終わった。
おまけに神事の最後に撒かれる福苗も福餅も一つとして授からなかったが、句友の優しい人から苗のお裾分けをいただくことができたのは幸いだった。
竹林の骨の軋みて春寒し
竹林は大騒ぎである。
風まだ冷たく高さおよそ10メートルに達しようかという孟宗竹が右に左に揺さぶられている。まるでこちらに倒れてくるのではないかというくらい揺れている。そしてその竹のバキバキという音はまるで骨を軋ませた悲鳴のようでもある。
竹林は身をもって重文の八幡さん社殿の後背を守っている。
枝ぶりのよき梅さだめカメラ据う
ファインダーの梅のいつかな揺れやまず
梅ヶ枝のあをきに白のふふみけり
難しいものである。
「梅」に真向いた句を作ろうとしたが、どうしても第三のものの力を借りて詠んでしまう癖がついているせいか、安易なほうへ逃げてしまう。カメラ、撮影という視座を借りれば何とか形にはなったが、三番目の句のように梅そのものを詠むのはどうもうまくいかない。
このあたりの表現力がつけば句の幅が広がると分かっていて、実際には高い壁として立ちはだかってくるのだ。
刈株ももろとも水漬く春田かな
今日は冷たい雨だった。
飛鳥寺西方遺跡発掘で、槻木広場跡とされる場所から建物跡が発見され、これが仮設的な構造物だというので壬申の乱の陣跡あるいは使節団の饗応施設ではないかという。
まわりはすべて田圃で刈り株も畦に鋤きこまれて折からの雨に浸かっているが、田も周りの土も雨で黒ずんで飛鳥の里は春の雨に包まれている。
だが、さすがにこの天候では見学者も少ない。受け入れ側も心なしか手持ち無沙汰のようだった。
おんだ祭田牛の角の黒光り
各地の神社で行われる「おんだ祭」。
いわゆる春先に五穀豊穣を祈る祭典・お田植祭で、大神神社ではオーソドックスな形式である。
拝殿を「神田」に見立て、田作男(たつくりおとこ)役が木型の牛や鍬などを使い、おもしろおかしく農耕の所作を行う。このあと早乙女に扮した巫女が、太鼓にあわせて苗を植え付ける所作で神事が終わると、「種籾」の入った袋が拝殿のなかにいる人にはそれぞれに手渡しで、境内の人には拝殿から撒かれて自宅に持ち帰ってお開きである。
軽い籾袋がどこに落ちるか予想もできず、とうとう福籾は授からなかったが、縁起のよいとされる田牛の頭を撫でられたのでよしとしよう。
葛城は時雨れ生駒は日当たれる
大神神社で「おんだ祭」があるというので三輪へ出かけてきた。
途中葛城山へ目をやると金剛山にかけて雪で真っ白だが、山頂から次から次へと雲が降りてきて西へ向かっている。葛城市や五條市に時雨を降らせているようだ。多分1,000メートルほどの山を越えるとき雪雲を生むのだろうから、大阪府側は晴れているか曇っているかに違いない。このように、山の一方が時雨れていて片方が晴れている場合を「片時雨」と言う。
一方の生駒山はと言えば、雲の切れ間から明るい日差しさえさしている。同じ盆地内でもこの対照的な天気はよくあるパターンのようだ。
帰りもまったく変わらない景色だった。
逆さ富士魚氷に上る三合目
湖に氷が張ってしまうと逆さ富士は見えないものらしい。
ただ、雨が降って湖面が滑らかになったり、氷が溶けたらチャンスである。
「魚氷(ひ)に上る(のぼる)」は七十二候の一つで、凍っていた湖の氷が暖かくなって割れ、そこから魚が跳ね上がる様子のことで2月の中旬の頃をいう。だから、氷が溶けかかる時分に魚が勢いよく湖面をジャンプして、そのあたりはちょうど逆さ富士の三合目付近なんだと言うのである。
少々理屈がかった句で鼻持ちならない感じがしないでもないが、そこは遊び気分で。
この時期の似たような季題に「薄氷(うすらい)」がある。単なる薄い氷を言うのではなく、春になって氷も溶けかかりその厚さが薄くなってきて、しみじみ春を感じる様子を言うのである。