七草粥

粥柱卦にあるままの杓子にて

粥をよそう杓子である。

一般にはおたまと呼ばれている上品なものをさすと思うが、茶粥を食う習慣のある紀州では、木でできた大きくてやや浅い独特の杓子を使う。調べてみると今では奈良の五條あたりで細々と作られているようだが、この木でできているというのがいいのである。
大釜にぐらぐら煮立っている粥をかき混ぜたりするには、上品なおたまでは釜の底までは届かないので柄も幾分長めである。それに、鉄釜の底に沈んだわずかな米粒を持ち上げるように粥をすくうためには釜の底を傷つけない木製でなくてはならないのである。
最近は竈に掛けた大釜でお粥を炊く家など希だろうから、こうした紀州独特の茶粥用木杓子はさらに廃れていくのだろう。寂しい限りだ。

笹鳴きを聞く

松飾る路地に渋滞避けにけり

今年初めて穏やかな日和。

風もなく散歩していても汗ばむくらいだ。例によって馬見丘陵公園では、門をくぐったそうそう笹鳴きが聞かれ、蝋梅もちらほら、梅の蕾も間もなく動きそうな氣配すら見せていた。これから本格的な寒を迎えるわけだけど、下萌えもあったりして春の兆しを感じることができた。

帰途通った狭い道には立派な門松がしつらえてある旧家があって、昔からある旧道のようだと知れた。

明日は吟行初句会。雨模様だと予報は言う。寒いときの雨はきついかもしれない。

狭井神社のご神水

若水をペットボトルにさずかりぬ

元日に大神神社に参拝した際に狭井神社へ足を延ばした。

足を延ばすと言うのはちょっとオーバーで、実際は徒歩5分程度の摂社で大国主の荒御魂をお祀りしている。薬の神様としても知られていて参道には製薬会社寄進の献灯が並んでいる。また境内には「薬井戸」と呼ばれるご神水も湧いていてもちかえることもできる。
この日は参拝客でごった返しているので、ご神水とラベルに書かれたペットボトル入りのものをいただいてきた。一本百円也。生水だから早めに飲むようにとの但し書きがあるので、さっそくコーヒーに。幾分か丸い味になったような気がした。

様変り

初手帳妻の予定も併記して

スケジュール手帳は昔ながらの月間タイプである。

見開きのカレンダーでその月の予定が一覧できるのがいい。
ただ、現役時代のように一日にいくつも仕事スケジュールが入るわけではなく、一日せいぜい一個程度である。しかも、それが句会であったり吟行であったり、はたまた句会であれば兼題も添えてという具合に、まずは俳句会のスケジュールから埋まってゆく。
また、仕事用スケジュールと違うのは家人の予定が書き込まれるようになったことだ。たとえば、家人が友人などと遊ぶ予定も入る。その時は猫の世話を一人背負わなければいけないからである。

これを様変りというのだろうか。

賀状御礼出した

麗夫人これ見よがしの賀状かな

この歳になってツーショットの写真入り賀状をよこす人がいる。

今年はこういう賀状が二通も来た。今まで家族の写真などよこさない人たちなのに、それがたいした美人の奥さんだったりするのでなお驚かされる。デジカメが普及したり、携帯やスマホでも手軽に写真が撮れるようになって、撮影画像を簡単にパソコンで編集できるようになった背景があるにせよ、これはよほどの愛妻家であることは間違いないだろうし、偕老同穴よろしく最期まで添い遂げると宣言したようなものであろう。

僕には家人の写真を関係のない人に披露する勇気はないけど。

初日の出

あらたふと伊勢の方角より初明り

あけましておめでとうございます。

旧年中は当ブログに多くの励ましをいただいてありがとうございました。
今年もどうぞよろしくお願いします。

さて、冬至から10日もたちますと夕暮れなどはいくらか伸びたかなあと思えるようになりました。
朝目が覚めると真っ先に寝室のカーテンを明けるのですが、日の出もいくぶん早くなったかなあという感じです。
自宅から見ると初日がのぼってくる方角は、ちょうど伊勢神宮のあたりではないかと思います。人麻呂のように「ひんがしの野にかぎろひのたつ見えて」の朝ぼらけというのは自宅からはまだ見たときはありませんが、それでも山の端から徐々に空が朱く染まってゆくさまは大変ありがたく気高く見えます。これなど、まさに「冬はつとめて」という言葉がぴったりきます。

今年もいい初明りが望めればいいのですが、何やら荒れる三が日となりそうな予報が心配です。「雪の降りたるはいふべきにもあらず」はあくまでも作品の上での話として承っておきましょう。