万両や身の丈にそふ房の数
四年目の万両がようやく実をつけた。
玄関の一画に植えた万両2本のうち一本は根付くことができなかったが、残った苗が昨年新芽をすくすく伸ばすとともに、古い枝に花をいっぱい咲かせた。秋には青い実が徐々に赤にそまり、年末には立派な深紅の房を葉の下から垂らしている。
玄関ドアをあけると冷たい空気に身が震えるようだが、目に飛び込む朱い実が気合いを入れてくれるような気がする。

めざせ5000句。1年365句として15年。。。
万両や身の丈にそふ房の数
四年目の万両がようやく実をつけた。
玄関の一画に植えた万両2本のうち一本は根付くことができなかったが、残った苗が昨年新芽をすくすく伸ばすとともに、古い枝に花をいっぱい咲かせた。秋には青い実が徐々に赤にそまり、年末には立派な深紅の房を葉の下から垂らしている。
玄関ドアをあけると冷たい空気に身が震えるようだが、目に飛び込む朱い実が気合いを入れてくれるような気がする。
黄味割いて醤油乗せたり寒卵
この時期の卵には滋養があるという。
日本人にとって昔から卵は貴重な栄養源で、生のものをいただくことが命をいただくことだとされてきた。
ところが、今でこそ卵は物価の優等生と言われて1個10円足らずで得られるが、我々世代にとっては農家でない限り卵は滅多に手に入らない高価なものであった。記憶では運動会とか遠足の弁当でしかお目にかかれなかったような気がする。
かといって、手軽に手に入るようになった今でも、熱々のご飯にかける卵ご飯というのは最近はあまり食わないようだ。なぜなら、卵かけご飯というのは味噌汁といっしょにいただく朝のものであるという感覚から抜け出せないので、パンと珈琲が定着した朝食のテーブルには卵かけご飯の出番がないからである。
もし食べるとすれば、それは温泉旅館などで出される朝食くらいであろう。しかも、不思議なことに普段食わない朝の和食も旅先ではすこぶる量がいただける。卵の他にうまい魚の干物があればそれはまた最高である。
がんばろうの子ら成人の日を迎ふ
初場所は初日から連続満員御礼のようである。
初日の白鵬戦では、懸賞金も限度いっぱいの50本出たという景気のいい話も聞かれた。大相撲に活気が戻ってきたというのはたいへん結構なことで、遠藤など新進力士のさらなる活躍も期待したい。
復活という意味では今年は阪神淡路震災から20年の節目を迎える。成人式を迎えたのは震災の年に生まれた子たちである。
石鳥居端から端へ寒雀
鳥が餌のとぼしい時期を懸命に生きている。
何とか食べ物は間に合ってるのだろうか、雀が羽を膨らませて日光浴でもしてる光景を見ることがある。束の間の休息であろうが、こういうときは決まって群れている。弱い者同士、肩ならぬ羽を寄せ合って身を守ってるように見える。
常備薬切らしてしまい寝正月
ちょっと油断したら持病が出たので終日自宅で過ごす。
今宮戎の十日戎なので、宝恵駕籠行列でも観に行こうと予定していたのにがっかりだ。華やかな芸妓さんや、今年はマッサンのエリーさんも出るというので面白いと思ったのに。
掲句は直接このことと関係はないが、酒が切れたからふて寢しているのかもしれない。いずれにしても、今日あたり松を過ぎて最初の土曜日なので正月の疲れた胃を休めるためにも寝正月を決め込むにはいい。
あるいは、録りためたビデオなどを見るには格好の時間である。そこで、元日の朝やっていた京都御所紹介番組を見た。御所は昨年暮れに見学しただけにまだ記憶も新しくさらに見識を深めることができたのがよかった。
寒紅をさして女将の顔になる
寒紅や細腕稼業板につき
寒紅や亡父残せし店の味
気がついたらとうに寒に入っていた。
「寒紅」は元は紅花から作る紅は寒にできるものがいいという意味であったが、近年は寒中にさす口紅のことも指すようである。
寒紅をさして殊更の情景が浮かべば成功と言えるが、紅さす身ならぬ男のせいか、いざ詠もうとするとなかなか難しい。
夕方身づくろいして紅を引いたら、いつもの女将になっていざ客を迎える顔になったということを詠んだのだが、単純すぎるかな?
順風の満帆にして宝船
宝船決まって風を背に受けて
宝船全長よりも帆の高き
帆の高く大きくはらみ宝船
宝船おのが宝はおのが持ち
どの港にて荷を積む宝船
「宝船」。こういう兼題が出されている。
正月2日の夜、宝船の絵を枕の下に入れて夢の吉凶を占うというのが江戸時代にブレークしたらしい。
絵を見てみると、七福さんが大きく描かれ、宝物も見られる。決まって順風のようで帆は大きく高く風をはらんでいる。じっと目を凝らしてみても櫓や水主たちの姿が見られないのも面白い。
サンタさんは寒い北の国からやって来るとされるが、宝船は一体どこから来てどこへ向かうのか謎である。
こんな呟きを繰り返しながら宝船の句を詠んでみた。