落柿舎

実式部の本懐ならん鳥寄り来

白式部と紅葉した南天

俳人にとっての聖地の一つ「落柿舎」を訪れた。

落柿舎の木守柿

源氏完読記念ツアー二日目の散策を終えてメンバーと別れ一足先に奈良へ帰ることとなったが、そこがちょうど落柿舎から5分とかからない場所だったので、時間は4時を回っていても迷わず立ち寄ることにした。
時期が時期だから二本ほどある柿の木のうち、一本の木はすでに実の一つも残っていないが、同じくすっかり葉を落としたもう一本にはまだまだ成熟した実が残っているのが遠目にも確認できて、すぐにあれが庵だと知れる。門をくぐると、この時間になると訪れる人もまばらで、ときおり次庵の庭からクリアな添水の音がよく聞こえてくる。

投句箱すへて間遠の添水かな

落柿舎に来たメジロ

そのとき、突然目の前の梅の古木のまわりに何匹かのメジロがまるで涌くように集まってきては近くの白式部の実をついばむのだ。ほんの1メートルほど先の光景だっただけにびっくりしたのって何のって。こんな経験は初めてだ。花鳥風月を愛でる俳人ゆかりの庵には、こうして鳥たちだってすっかり警戒を解いてくれているのかもしれない。

この歳でオフ会

散髪のここが我慢の嚏かな

猛烈な寒さがくるというのに散髪に行ってきた。

いわゆるオフ会を京都の泊まりがけでやろうというので、初めてお目にかかる人に失礼があってはならないからだ。いつもなら「短めで」と言うところ、今回は「普通で」と頼んだ。おかげであまり好きでもない散髪を年内にもう一回は行かなくてはならない。

ところで、このオフ会というのは、源氏物語を原文で2年かけて読もうという壮大な企画を発案し、みごと完遂した仲間が卒業旅行と称して物語の舞台の京都・宇治をめぐる旅なのである。これは源氏物語 道しるべというブログに集まったメンバーで、ネット上の読書会で知り合った「友達の友達」という人も混じっているので、ブログはさながらSNSみたいなものである。もちろん、リアルで見知った人もいるのだが、なかには何年も前からネットやeメールでやりとりさせていただいていてもお写真を見たこともなければお声を聞いたこともない方もいる。
この歳になってオフ会をやろうとは夢にも思わなかったが、皆さん紳士淑女でいらっしゃるのですばらしい会になるのは間違いない。

今頃は、現代俳優による源氏登場人物配役をめぐって酒もずいぶん進んで。。。。。
(本日予約投稿)

懐に入る

胎内に入れば凩やさしけれ

今日は凩の雨とも言えるような日。

朝から断続的に雨がふっていて、それに風が混じっているので木っ端が飛ぶ飛ぶ。枝にしがみついていた桜紅葉の名残もバラバラと散って、濡れ落ち葉状態だ。
ここ何日かのあいだに山の雑木紅葉もすっかり色を落ち着けて、いよいよ眠りにつく体勢が整ってきたようだ。

ただ、凩というものは襟をたてたりして抗うより、森の中など逃げ込めばどこかひとところには凩もまったく届かないような場所があるもので、そこは音一つすらしない。そんな現実とは思えない不思議な空間に自分が立っていることがある。そのときはまるで凩のおなかの中にいるような錯覚を覚えるのだ。

試し切り

よく研いでまずは大根切り落とす

包丁を研ぐとさっそく何かを切ってみたくなるものだ。

できるだけスパッと切れるのがいいので、旬の大根はもってこいの相手役だ。
研ぎ具合、切れ味というものは一回切ってみるだけで分かるものだが、研ぎがうまくいったりすると何回でも刃を入れたくなる。材料を無駄にすると言って叱られるので、そういうときは皮むきでもしながら我慢するしかない。

関西人と時雨

北の山飲んで時雨のくる兆し
背の山を飲んで時雨の兆しかな

家の北方にあたる山が黒い雲にみるみる覆われてくる。

これはもうすぐ来るぞと見ていたら、やがてたちまち大粒の雨が落ちてきた。
時雨をもたらす雨雲が大阪平野、生駒山地を超えて奈良盆地をよぎっていくのだ。家からは葛城山系を越えた時雨が多武峰方面へ向かう様子を何回か目撃している。いっぽうわが家を通る時雨は信貴山を越えてくるから、方角的には北西方面からやってくることになる。
散歩など外出する場合は玄関に出たらまずは北西の空を見るのが習慣となった。

冬の間乾いた晴天が続く関東に住んでいた時には「時雨」と言ってもピンとこなかったが、関西にきてからは実感することが多い。おそらく一週間に一回くらいの頻度で時雨が見られるのである。「時雨」を季題として詠むならばきっと関東よりも関西人のほうが豊かな表現ができるのではないだろうか。

土饅頭

墳丘のまろきまんじう冬ぬくし

芝も枯れてきた。

よく整備された墳丘公園では、それぞれの古墳の姿もよく見通せるようになってきた。後円墳であれ円墳であれ帆立型であれ、どの墳丘もなだらかな孤を描いてまんじゅうみたいだ。
土葬であった昔は墓のことを土まんじゅうとも言ったのだが、さながら古墳は大きな土まんじゅうだと言ってよいかもしれない。

本当は古墳を積んだときには段丘状であったという話だが。

燃え上がる

夕照を浴びて紅蓮と冬紅葉

周囲の山がまだらに燃えていよいよ冬が近い。

遠目には一色に見えていたが近くまで来てみると、意外に色の表情にバリエーションがあって緑に近いものから茶に近いものまで、綾模様が大変美しい。帰り道、これらに夕日が当たり出すと、この時間独特の色味が加わりますます燃えさかるように凄味がましてきた。
その入り日は今では二上山と葛城山の間に落ちるようになっている。