男神らしさ

小春日の千木金色に布留の杜

石上神社はあまりにも由緒が古くて分からないことが多い。

かつて神社のあった辺りは武を司る物部氏の領地で、物部宗家が滅びたあとの大和政権時代の武器庫でもあったと言われている。本殿もかつてはなく神池を祀っていたというから相当古い神社であることは間違いない。
国宝の本殿の千木などはいかにも男子の神を祀っているという無骨なほどの感じがする。
千木や鰹木の両端は金箔でも施されているのだろうか、小春の太陽を浴びて眩しい。

留守番の鶏

宮鶏の声おほどかに神の留守

今日は石上神宮吟行。

乗り換えに行き違いがあってスタートからして大遅刻。30分足らずの吟行ではとてもじゃないが満足行くものが詠めるはずがない。
救いは、鳥居をくぐるとおびただしい神鶏たちが目につくことだった。どれも美しい鶏たちだったが、とりわけ東天紅という種類だろうか、尾の長くて砂地を引きずりそうな鶏が優美に何度も自慢の喉を聞かせてくれる。宝剣の七支刀が県立美術館に貸し出し中のうえ、主神以下全員出雲にお出かけの神無月、しかもこれぞ小春という日だからだろうか、みなのんびりと境内を行き来しながら、ひなたぼっこを楽しんでいるようかのようである。

当日の句会はさすがにこの神の鶏を詠んだ佳句が多い。多すぎて、どれを採っていいやら判断にも困ってしまうほどであった。

懐かしい匂い

田仕舞のけぶり懐かしかぐはしき

もみ殻のほかにこぼれた藁屑や穭穂を焼いているらしい。

稲藁の焦げる匂いははどこかなつかしくていい香りがする。稲藁なんていうのは最近はめったに手にしたことがないが、庭木の防寒対策にと藁をホームセンターで買ってきた。結構いい値段がするのには驚くが、鼻に近づけるまでもなくいい匂いに思わず深呼吸してしまうほどである。
新藁ならなおさら香りは高く、これを燃すのだからまた特別なものがある。
しばらくは眺めるともなくそのまま立ち尽くして懐かしさに浸っているのだった。

雨の大和川

鳰のよく潜く日なりし大和川

浅い川だが流れはそこそこある。

上流から流れてきたかと思えばすぐにまた潜水してあらぬところに顔を出す。
いつものパターンだが、今日はいつもよりも頻繁に潜っているようである。
川の冬もだんだん本格的になってきた。

ここんところ今年生まれと思われるカワセミがいつもの場所で羽を休めているのを目撃することが多い。どうやら二羽がいて場所争いをしているようであるが、どちらが勝者になるにせよこんな大川では小魚が散っているので冬を越せるようないい餌場にはむずかしいだろう。
魚を獲ることにかけてはやはり水中を自在に動ける鳰に分がある。

町木

町の木の楓紅葉の庁舎かな

今我が町の街路樹や公園、学校は今紅葉真っ盛り。

摂社として龍田姫をお祭りする龍田大社があるからだろうか、町のシンボルツリーはモミジである。大和川の河川敷から街を見上げると(全体が信貴山に向けた坂の町)、町の至る所が紅葉しているのがよく見えるのだが、それは見事なものである。たっぷり広くとった校庭の小学校など、フェンスに沿って植えてある木はすべて落葉樹らしく楓、桜、欅などそれぞれに色を染め分けてみごとなアンサンブルだ。

柿畑の主

色鳥の尾羽を金茶に打ちふれり
尾羽打てる鳥のしばしに柿の畑

法隆寺にはなくても、斑鳩の里にはある。

柿畑である。法隆寺の後背部にあたる、法輪寺や法起寺の辺りはまさに里といっていい風情が残されていて、果物の産地でもある。大小のため池の周りには葡萄、無花果、柿の畑が点々と広がっていて、今は柿の木に真っ赤に熟れた実が鈴なりである。
遊歩道も整備されているのでその周りを歩いていると、「カタッカタッ」という音が響き渡ってきた。その主は柿の木のてっぺんにいるジョウビタキの雄で、しきりに尾を打ち鳴らしているのだった。ジョウビタキというのはいろんな鳴き声を聞かせてくれる鳥なのだが、その日はただ尾を打ち鳴らすのみ。何のための行動かは分からないが時々に響く音にしばらく耳を傾けた。

晩秋の響き

ばったんこ錆びたる音を打つばかり
ささくれて音のもれたる添水かな

まるで飛鳥の酒船石を模したようかのような石造物がある。

四つ五つを少しずつ傾斜をつけて組み合わせ、上から下へ水を流すしかけである。ここは何時行っても枯れていて何のために作ったのか首を傾げることが多いのであるが、三連休のあいだに訪れたときに水が流れているのを初めて見た。
この水は途中いろいろな変化をつけながら、曲水を描くようにやがて大池に流れ込んでいくのであるが、段差を大きくつけてある部分では山紅葉が覆っているのでせせらぎの音だけ聞こえてきて、これが五感すべてを癒やすように心地よい。
で、この酒仙石だが、近づくにつれ何だか様子が変だ。添水の仕組みを設えてあるのはちがいないが、周囲にひびきわたるような小気味いい音とはいかず鈍い音しか聞こえてこない。どうやら竹が古びてひび割れているのが原因だった。まさに竹刀で叩くような音そのものなのである。

明日はいよいよ立冬。晩秋を感じとるにはちょっとわびしい音であった。
馬見丘陵公園にて。