一足早い秋

山村の岩を堰とすプールかな
寒村の水場に遊ぶ子のなくて

吉野川源流・高見川のあたりに吟行した。

このあたりは東吉野村といって、かなり前から俳人・俳徒にとって聖地ともされる村である。村内のかしこに著名な俳人の句碑が建ち、多くの俳人が訪れる。そのなかでも、「天好園」という山の宿を知らぬものはもぐりだと言われるくらい有名な館で、ここで句会もよく開かれている。
属する結社でも昨年5月余花の頃にここで吟行句会が開かれ、ことしは万緑、というより晩夏の時期に訪れることになった。

山の奥で、清流は流れているし、蝉や虫の声、いろいろな草木もあるので四季折々に句材には尽きないものがありそうだ。

青芒活けて迎へる山の宿
青芒深山の客を迎へけり

かなり奥になるので大和盆地に比べ随分涼しい。昼頃には天気もずんずんよくなって青空が広がり流れる雲も高い。ここには一足早く秋がきているようだ。

摘果のタイミング

青柿の多く落つるも枝になほ

柿というのは花もそうだが実もそうである。

何がって、よく落ちるのである。
今年はよく花がついたなあと思ってると、花が小さな実をつけながらどんどん落ちてゆく。また、それがなんとか残って実がどんどん大きくなっていっても、そのはしからどんどん落ちるのである。
だから、歳時記などをみても「柿の花=青柿=落ちる」というイメージの例句が多い。
掲句もそうで、もうこれ以上落ちないかと思っていても、木の下を見るといつの間にかまた落ちている。だから、柿は摘果すべき果物だと分かっていてもどのタイミングで摘果していいやら素人にはよく分からないものなのだ。

かくして、摘果しないでいると思ったより実が成ったりして、その分小さな実ばかりしか収穫できないというような事態を招いてしまうのである。また、それが翌年は花が咲かない、結果しないというような柿独特の隔年結果に陥りやすい。

今日は吟行句会で東吉野へ。予約投稿である。

ミニ公害

休日の草刈る音の煩わし

住宅地のあちこちはまだ更地のままである。

だからどの区画も年に2度ほどは草刈りが行われいて、たいていは不在地主なので委託業者が行うケースが多い。なかには土地区画整理事業の保留地として元地主の所有のままだったりした場合は、たいていが農家なので他人に任せず自ら行うこともあるようだ。
問題はあの煩いエンジン音である。業者さんというのは平日に行うから我慢するとして、兼業のせいかどうか農家地主の日曜の草刈りは迷惑千万なのである。
この時期、窓を開けることも多く埃が舞い込むことや、たいていは若いサラリーマン世帯なのでその安息を阻害していることや、なかには小さい子供さんの昼寝を妨げたりしてしまうことに思いが及ばないのだろうか。

沼ではなくて

養殖池廃れて永し蒲の生ゆ

金魚養殖も後継者不足に悩んでいるのだろうか。

ところどころ養殖池が空になっていて、わずか残った水に大きなおたまじゃくしがいっぱい泳いでいたりする光景なども見られる。さらに進むと、養殖池自体がもはや養殖池とは思えないほどただの沼地になって蒲が茂っていたりする。このまま放置すると周りの池まで浸食されそうで、荒廃がさらに進むのではないだろうかと人ごとながら心配してしまう。

大和郡山にとって金魚は江戸時代から綿々と守られてきた特産だけに、じり貧に追い込まれる前に何か手を打つべきではないかと思うのだが、そんな心配も杞憂に終わればいいけど。

大阪平野はむかし海だった

日暮しの鳴きそむ雨の昏さかな

今日はめずらしく終日の雨。

気温が上がらないのはありがたいが、湿度が高いのはかなわない。台風12号の余波の雨らしい。
明日もまだその影響があるらしいと聞いてさすがに気が重くなった。
そこで、句材探しに大阪府の「近つ飛鳥博物館」へ行くことにした。ちょうど今「大阪平野はむかし海だった」特別展が開かれていることもある。これによると、今の大阪平野はつい3千年前の縄文時代までは海だったそうだ。その後海水面が下がるとともに土砂の流入もあって淡水湖となり、ついには今の陸地へとわずか千年、2千年の間に大きく変化した。
難波宮はその大阪湾に突きだした半島の先端にあったらしいことを知った。多くの渡来人たちが湾の周囲に住み着き、漁をし、塩を作り、牧を育てたことも。やがて渡来人たちは二上を越え大和にも進出したことも。
大阪湾(茅渟の海)は当時最先端の文明が上陸した土地なのだ。

見学し終わって外へ出たら、雨はまだ降っていたが、古墳群の谷によく響くヒグラシの声があった。
今日の句はわりに気に入ってます。

アワノメイガ

もろこしの花の十字の槍のごと

菜園などでは夏野菜が真っ盛り。

そのなかでも上手に育てたトウモロコシなどをみると、ほれぼれするほど雄花が立派に空にそびえている。それは、まるで十字槍を並べ立てたように雄々しく夏の畠にふさわしく思える。この穂が開くと細かい花粉がこぼれ落ちて雌花の髭に絡みつき、一本の髭につき一粒の実がなるのだという。
だから、この花粉がまんべんなく降りかかることが重要で、作り手としてはここが勝負時だが、相手はそれだけではなくアワノメイガという虫も大敵なのである。
この虫は雄花から侵入し、茎を通じて実の中に忍び込む名人で、雄花をいつまでも放置していたら虫の侵入を易々とゆるしてしまうことになる。人工で花粉を降り出したらさっさと切り落としてしまうのも対策になるが、反面実入りが悪くなったりしてその兼ね合いが難しい。

店先で並んでいるのは虫害がないものばかりだが、雄花の管理が大変なのでおそらく農薬を使って虫害を防いでいるのが実のところではないだろうか。

せめぎ合い

片陰のよるべあえかな亭午かな

じりじりと焼けつくような日差し。

5分と立っていられない昼間、入道雲も今夏一番のもくもくと。
車を止めて家人を待つ間陰を探そうにもハイヌーンとあっては当てにもできず、早々にビルの中に避難してしまった。
毎夕水やりしている苦瓜も南瓜の葉もげんなりしてまるで生気がなく、やはり西日本の暑さは折り紙付きだ。

夕方になってようやく日中の暑さがおさまるとまた元気を取り戻してきてほっとするが、ふと頭を上げるともう入道雲の姿はなく秋の鱗雲すら浮かんでいた。まだまだ夏に分があるとみえるが、やっぱり少しずつ秋とのせめぎ合いも始まっているのだと思える。